異国の地にて思うこと

 

2000年7月にマレーシアに赴任しました。
遠く日本を離れて、異国の地で感じたこと、思ったこと、考えたことを ここに綴っていきます。

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2002年分

2002年12月31日 家で過ごしたNew Year's Eve

  • たぶん社会人になってから初めて大晦日も一日仕事した。でも暑いこの国で、しかも誰も「年末だ、師走だ」と忙しそうにしていないこの国では年が押し迫っているという気は全くしない。という訳でのんびりと会社での時間を終わり、普段と変わらない感じで、でもいつもより早く6時過ぎに帰宅した。こういう中でマレーシア時間6時半にはもう紅白歌合戦が始まってとにもかくにも大晦日という感じにはなってきた。年越しそばを楽しみ、紅白も終わると家の外はだんだんNew Year's Eveのカウントダウンに向けて盛り上がってくる。すぐ近所のショッピングセンターでカウントダウンが始まるか始まらないかのうちにKLの方で花火が上がり始めた。それも3箇所か4箇所。PJ方面でも上がってきたので全部で5箇所くらいで花火があがって、それはなかなかの見ものであった。花火が終わっても外の騒がしさは全然納まらず、きっと地元の人たちは朝方まで騒ぐのだろう。それにはつきあいきれない僕たちは窓を閉め切って騒がしさを我慢しながら眠りについた。

2002年12月25日 Shangri-Laでのクリスマス

  • 今年は24日クリスマスイヴが会社が半ドンだったので昼過ぎに帰宅してからShangri-Laホテルに一泊してクリスマスを過ごすことにした。インターネットで予約していた部屋は角部屋の狭いキングサイズダブルベッドの部屋だったが、子供二人連れというのを見て一旦その部屋に入った後もう少し広い部屋に代えてくれた上にエキストラベッドも入れてくれた。またクリスマスということで靴下に入ったお菓子を子供たちにくれたりして、心遣いがうれしい。以前外部での研修で一緒になった元ホテルマンがクアラルンプールで一番良いホテルはShangri-Laと言っていたがサービス面を見る限りそれは本当だろう。
    また設備面も1年位前に泊まったときと比べると部屋も改装されているし、ロビーやレストランもリニューアルしてとてもモダンになった。KLでRitz CartonMandarin Oriental Hotelと並ぶ一番良いホテルだと言える。
    ルームサービスで取ったディナーもおいしくて、楽しいクリスマスを過ごすことが出来た。

2002年12月22日 中村ノリの決断について

  • 僕が生まれ育った大阪府池田市に府立渋谷高校という学校がある。元々は池田市立渋谷高校だったこともあり地元の人が多く行く高校だ。もちろん僕の卒業した中学からもたくさんの生徒が行った。この高校が僕が会社に入った年、1990年夏の甲子園に出た。府立高校が1校しか出場できない夏の甲子園大会に出場するというのは大阪ではすごい快挙なので当時東京に居た僕も喜んで甲子園に応援にかけつけた。もう周りは同窓会状態で当然渋谷高校出身の人が一杯で甲子園も満員になっていた。その試合でエースとして出場していたのが中村紀洋選手である。
    その後近鉄に入団し、イチローと同世代の選手として着々と力をつけて一流選手になった。正直レギュラーを取っただけで快挙と思っていたが日本を代表するスラッガーとして次々とタイトルを取るまでにはなるとは思っていなかった。大したものだ。

    さて前置きが長くなってしまったがこの中村ノリが一旦はメッツに決めていたのを最後には近鉄残留という結論を出した。本当の理由は本人他関わった人しかわからないのだろうが、中村の言い分、そしてメッツ球団側の言い分を聞いているとどうも僕には異文化コミュニケーションの難しさによるMis Communicationがあったような気がしてならない。当然色々な物事の進め方が日本とアメリカでは違うわけで、それに関してあまり理解しないまま非常に日本的な価値判断で決断してしまったように思える。本来間に入る代理人がそこをうまく調整するべきなのだろうが。

    地元から出て一流の野球選手になった中村がメッツ入団しメジャーでやれるというニュースを聞いて喜んでいただけに近鉄残留と聞いて少し残念だった。海外にいるせいかつい海外に出て挑戦する日本人を応援したくなってしまう。
    でも結果を見てみるとメジャーに行かなくて良かったかもしれない。松井秀喜と違い、元々メジャー行きを夢見てきたわけではない中村は前述した異文化コミュニケーションのみならず家族の心の準備だとか色々な面で海外で仕事をするという準備が全く出来ていなかったように思えるからだ。そういう状態でメジャーへ行って活躍できずにボロボロになるよりは近鉄で頑張ったほうが良いだろう。

2002年12月21日 かとれあ会コーラス賛助出演

  • 今年も昨年に続きかとれあ会コーラス部のクリスマスコンサートの賛助出演でKLグリークラブとしてThe Regent Hotel Kuala Lumpurのロビーでのクリスマスコンサートに出演した。あんまり練習が出来ていなかったし響きの良くない会場なので出来はイマイチだっただろうと思う。それはそれとして聴きに来てくれていた方は大半は出演者の家族あるいは友人でせっかくホテルのロビーでやっているにもかかわらず立ち止まって聴いてくれる人はごくわずかという感じだった。また席数が非常に少なくせっかく来てくれている人でも席がなく座れなかった方が多くあったようだ。
    なぜこの会場を毎年使っているのかが不思議だ。音響の面、来てくれる方のこと等を考えるときちんとホールを借りたほうが良いのではないかとも思ってしまう。まあ我々は賛助出演でしかないので、「出てください」と言われたら「わかりました」とただその通りにしておくだけで良いのでそっとしてはおくが。

2002年12月20日 クリスマスパーティ at 会社

  • 例年通り終業時間を30分ほど早めてオフィスで簡単なクリスマスパーティがあった。ケータリングサービスに頼んでのTurkeyとその他食べ物が少し、そしてみんながRM10の予算で用意した交換プレゼント。
    マレーシアはイスラム国にもかかわらずみんなクリスマスが好きなようだ。日本で終業時間を早めてこういうことをすることは考えられないが。

2002年12月16日 KLグリークラブ・カンボジア演奏旅行決定

  • こんどのチャイニーズニューイヤーに計画されていた、KLグリークラブのカンボジア公演が正式に決定した。KLグリークラブにとって初めての海外演奏旅行となる。僕はいつものとおり(?)チラシのデザイン担当および会計ということになった。初めての経験でどうなることやら。

2002年12月15日 KLJCFクリスマス

  • 今年もKLグリークラブでKLJCFのクリスマス礼拝で聖歌隊として歌った。何故かはわからないが聴いていたYANAママによると今年の演奏は良かったらしい。練習は決して十分とはいえず曲が完成していたとは思えないのだが、たぶん人数が増えて音に厚みが出たことと礼拝堂がそう大きくなくてそれなりの声が響いたのだろうということが要因だろう。練習しているときは昨年から比べても全然だめだと思うのだが、それでも昨年よりはレベルアップしているということか。

    今年は日本基督教団甲東教会牧師の西澤他喜衛先生という方が来られて説教をしてくださった。土曜日のファミリークリスマス、日曜日のクリスマス礼拝と2日間続けてお話を聞いたが、特に土曜日の阪神淡路大震災の話はすごく心に残った。礼拝後に少し直接お話させていただいたが、海外の生活においても心の持ちよう(常にポジティブに)ということをとても強調されていたのは、先生の地震での体験に根ざしたものなのだろう。そういう”生きる力”が大切だと思うと同時に子供たちにそういう力をつけさせてやらないといけないなあと思った。

2002年12月8日 モルディブ旅行

  • ハリラヤプアサ前に3日半休みを取って、スリランカ近くに浮かぶサンゴ礁の島々、モルディブへ行って来た。夢のような素晴らしいところだった。
    詳しいことはこちらへ→KL発海外旅行リポート「モルディブ

2002年11月24日 諸江さんリサイタル & Jちゃん結婚式

  • 今年もKLグリークラブの仲間(年上の方を捕まえて失礼)である諸江さんのリサイタルがあった。これで4回目とのことだ。兎にも角にも継続してリサイタルを開くということが素晴らしい。人間というのは有言実行でとにかくやることを決めてしまって自分を追い込んでそれで努力するというのが大切だと思った。もちろん何も言わないで努力できる人はすごいけど、大抵は人間は怠けてしまうので。
    なかなか諸江さんのように有言実行をするのも難しいことだが少しでも見習えると良い。

  • 僕の直接の部下であるJちゃんの結婚式だった。赴任して間もなく入社してきた彼女を面倒見てきたので、初めて見る旦那がパッとしない男で「何であんな男と!?」という感じで見てしまった。何だかちょっと父親気分だ。どうもチャイニーズは女がかわいくても男はけっこうブーが多い気がする。まあ普通はそうか?

2002年11月19日 偉くなられた元ボス

  • 10年近く前、立川営業所勤務時代に上司(東京営業部長)であった方がシンガポールに来られて、僕も会議に呼んでもらって久々に再会した。今ではすっかり偉くなって執行役員常務だが、今回の話しぶりからどうやら次期カンパニー社長らしい。現在は国内営業部門のトップなので直接は僕とは関係ないが、来年の役員会以降カンパニー長になられると、また上司ということになり僕の人事にも少なからず影響があるかも。

2002年11月15日 たぶん任期延長

  • アジア・パシフィック地域社長から連絡があり、日本のカンパニーと一応僕の任期延長という方向性は合意したとのこと。ただし今後の組織変更などで方向性が変わることはあり確定ではないらしい。まあ何にせよ方向性が決まっただけでも良かった。

2002年11月10日 なだ万改めZipang、でも味は・・・。

  • Shangri-Laホテルの一流日本食レストランなだ万がだいぶ前(1年くらい??)に改装してZipangとなっていて、まだ試すことができていなかったので、行って食べてきた。内装はすっかり変わってすごくモダンになっていて日本食レストランという感じではなかった。まあお洒落といえばお洒落なんだけど。
    まあ内装がどうあろうが大事なことは味なんだが、僕が食べた天婦羅定食はどうも天婦羅の揚げ方が料亭という感じではなく、街の食堂という感じだった。名前がZipangであろうとやっぱりなだ万を期待している僕にとっては失望であった。
    結局今のクアラルンプールで価格と味のバランスで納得いくのは「すぎ本」くらいだ。なだ万時代はおいしかっただけに残念。

2002年11月5日 プーケット旅行

  • 結局バリはキャンセルしてその代わりにタイのプーケットに行ってきた。プーケットも西洋人の集まるところだがタイはインドネシアと比べるとずっと治安は良いし、タイ南部であるプーケットはイスラム教徒もけっこう居るとはいえ、イスラム過激派が居るという情報もなく大丈夫だろうという判断からであった。(まあ今の時代どこが絶対安全なんてないけれど。)
    結果としては何もなかったが、ホント西洋人の多いところであった。
    →詳しくはKL発海外旅行リポート「タイ(プーケット)

2002年10月20日 KLグリークラブ第4回定期演奏会

  • KLグリークラブの第4回定期演奏会がINTANという公務員研修所を借りて行われた。今までは日本人会のホールを使っていたのだが今回は新月会のKL公演で地元の人がたくさん来てくれたのでその人たちにまた来てもらおうということで、外部のホールを借りた。約400名収容のホールであったが実際には250名くらいの入りと残念ながら満員とまではいかなかった。後で招待した知り合いによると、ホールの場所がわかりにくくて結局たどりつけなかったとのこと。告知用はがきをデザインした僕としては責任を感じてしまった。次回演奏会関係でお手伝いをすることがあればそのあたりをよりわかりやすくなるよう努力しよう。

2002年10月19日 Bukit Tinggi

  • 会社の会議兼Company TripでGenting Highland近くのBukit Tinggiへ行って来た。ここはBerjayaというホテルグループが開発したフランスの街を模したところというのがうたい文句のところなのだが実際言ってみるとディズニーランド的な見た目だけフランスの街、実際はスタジオみたいなハリボテという感じで全然良さを感じなかった。部屋も20年前の日本のペンションみたいなメルヘンチックなインテリアで居心地が悪い。
    良いところだったら次回家族を連れてこようかと思っていたが、こりゃやめだ。

2002年10月13日 何すんねん!バリの爆弾テロ

  • 実は11月のアタマにバリに行こうと計画をしていて何とか飛行機のチケットも押さえ、ホテルも予約してあとは実際に行って何をしようか細かい計画に入ろうとしているところだった。そこへ爆弾テロのニュースだ。
    こうなってしまうと危なくてとても行けたものではない。キャンセルせざるを得ないだろう。せっかく楽しみにしていたのに・・。春ごろにも行こうとしていたのだがなかなか思うように飛行機が取れなくてようやく実現すると思っていたのだが。どうもバリとは縁がないらしい。
    これもブッシュが何が何でもイラクを攻撃しようということから起こっているのだろう。クリントンの方が全然良かった。女性問題なんて可愛いもんだ、所詮はただの家庭問題だし。
    まあポジティブに考えるとバリ滞在中にテロがあって巻き込まれなくて良かったー、ということになるのかな。

2002年10月12日 山田久志氏にちょっぴり失望

  • 元々阪急ブレーブスファンだった僕には山田福本加藤の44年組は憧れのスターであった。(ちなみに3人とも名球会入りしている、すごい!)中でも山田さんはオリックスに変わっても将来の監督を約束された存在で実際仰木監督のときにコーチとして大きな貢献をした。その後の仰木さんの保身でやむなく球団を離れて結局中日監督になったのは周知の通りである。
    その大好きな山田さんの福留に首位打者を取らせてやろうという親心の采配がどうも僕には気に食わない。特に今回日本球界を離れる松井秀喜が最後に三冠王を取ろうとしていた。しかも全試合全イニング出場でだ。福留にも勝負するなら同じくずっと試合に出て欲しかった。しかし福留が固め打ちして松井を上回った後は、山田さんの采配は守備につかせるだけで打席には立たせず打率を守ろうというものだった。
    確かにそれもルールのうちだ。でも福留にスケールの大きな選手になってもらおうというのならもっと正々堂々とさせてやるべきだったのではないだろうか。こういう首位打者の取り方をすると何か小さい選手になってしまう気がする。(後ろめたさが残るから?) また消化試合とはいえ球場に来てくれたお客さんは中心打者に育った福留の打席は見たいはず、それを見せないで引っ込めるというのは観客を大事にしている興行とは言えない。格闘技で言うセミファイナルやメインを見せないのと同じだからだ。ファンはスターのプレーを見て納得するものだろう。もしかするとその人にとっては1年に1度しかないナマで見られるプレーなのかもしれないのだから。
    94年にイチローのおかげで再び球場でナマで見る野球の醍醐味を再認識した僕としては、当時コーチでイチローの面倒も良く見たと言われる山田さんは良くわかってくれていると思っていたのだが、返す返すも残念だ。

2002年10月6日 VAIO PCV-S610V7アップグレード成功

  • 8月に帰国した際に兄に買ってもらったマレーシア製(!)Cerelon 677MHzをドーターボードを履かせて元のPentium II 333MHzと取り替えたところあっさりと認識してくれてアップグレードは成功した。ただ実感としてはそれほど早くなったという感じはない。マザーボードの限界とかほかにボトムネックになる部分があるのだろう。
    取り替え方は→C級サラリーマン日誌 VAIOを一生使う −−CPU交換篇−− そのまんまでバッチリ行けました。C級サラリーマンさん、ありがとうございます。

2002年10月5日 SSS英語学習用に本を大量購入

  • インターネットで見つけたSSS英語学習というのがなかなか面白そうなので考え方を撮り入れてみようと、KLCCの紀伊国屋に行ってGrade Readersを探した。結局Random Houseのが結構あったのでLevel 2あたりを中心に大量購入した。とりあえずこれでどんなもんか妻と一緒に試してみる。

2002年10月4日 疲れた印刷屋とのやりとり

  • KLグリークラブの第4回定期演奏会の告知用はがきを作ることになって、会社に来ている印刷業者に頼んだ。しかしこれがけっこう疲れるやり取りになった。まず日本語を使えるかどうかがわからないのでMicrosoft Publisherで作ったデザインをPDFファイルに変換して渡したが、フォントがないので見えないとのこと。フォントをコピーして渡してやったがやっぱり見えない。JPEGファイルにしてやってようやく見えたが結局デザインは一からやり直し。そして日本語は印刷屋の友達が打ち込んだ。彼らはAdobe Illustratorを使っていてそのファイル型式を教えてくれればそれで渡すと言ったのだがどうも通じないらしく結局無駄に同じことを2回やったようなものだ。納期にもホント、ギリギリでようやく納品してきた。ローカルの業者とのやりとりはどうもこっちの思うように進んでくれなくて疲れる。とにかく一仕事終わってやれやれ。

2002年9月29日 期待はずれのミュージカル「Cats

  • 半年ほど前に見たミュージカル「Fame」が素晴らしくて、きっとCATSはそれ以上だろうとすごく期待をして行った。始まると「あれっ?」という感じで何か歌が、踊りがもうひとつ迫ってくるものがない。そうこうしているうちに眠気が襲ってきた。うつらうつらしながら見ているうちに休憩時間になった。休憩時間に妻と話したが彼女も同じ感想だった。どうも「Fame」から比べるとかなりレベルの落ちるキャストだったようだ。「Fame」はオーストラリアの人が多かったようだが、今回は南アフリカが多いらしい。国によってミュージカルのレベルも色々あるのかもしれない。でもチケットがFameより高いのは納得いかないなあ〜。

2002年9月26日 まゆ5歳

  • 長女まゆが5歳になった。マレーシアに来たときは3歳になったばかりだったが随分大きくなったものだ。インターナショナルスクールでレセプション(年長組)に今月からあがって張り切っているようだが、張り切りすぎてか今日もまた熱を出した。中耳炎も併発しているようだ。
    クラスに日本人3人だけであとは各国から来ている友達だからそれなりに緊張しながら過ごしているのかもしれない。楽しいのは楽しいらしく喜んで通ってはいるけれど。まあこれもなかなかできない良い経験をさせてもらっているということだろう。

2002年9月24日 ヘッドハンティング??

  • 会社にシンガポールの会社から電話があった。何でもヨーロッパの化学会社が日本への進出を計画していて日本のセールス&マーケティングをやってくれる人を探しているとのこと。つまりヘッドハンティングの一種らしい。とはいってもたぶんシンガポール、マレーシアあたりの日系の販売会社を片っ端から当たっているのだろうから特別何かあって僕のところに来たわけでは無さそうだが、まあいずれにしろ日本ではなかったことなので海外に居るとそれなりに目立つのかもしれない。

2002年9月21日 訪朝に対する日本のマスコミの反応について

  • 先日の小泉首相の訪朝だが、正直金正日が拉致を認めてしかも謝罪するとは夢にも思っていなかったのですごく驚いた。これはものすごい成果だと会社でニュースをインターネットで見た瞬間に直感した。半数以上の方が亡くなっていたことには、北朝鮮という国が国なのである意味やむをえないだろうとしか思わなかった。
    しかし帰宅してNHKを見ていると、今回の会談の成果よりも拉致のことばかりがやたらとクローズアップされて、ヘンに感情移入されすぎている気がした。
    あの北朝鮮、あの金正日を相手にして立派に堂々と振舞い、ほぼ完全勝利と言える成果を手にしてきたのだから小泉首相はもっと評価されるべきなのではないだろうか。実際昨今の日本の外交では特筆すべき大成果だったと思う。海外のマスコミの論調も総じてそういう受け止め方だった。
    NHKに限らず、週刊誌の見出しなどはもうただ単に感情的に北朝鮮をテロ国家呼ばわりしたものばかりで「何をいまさら」という感じだ。そんなことはとっくにわかっていたことである。わかった上でどう対応するかが外交であり政治である。日本には大人が居ないという感じを持った。
    ただ北朝鮮もここまで曝け出したにもかかわらず、欲しくてたまらない日本の援助が感情的な日本の世論によって遠のいてしまうかもしれないということは大きな誤算だろう。それをわかっていて誰かが(小泉さん?それとも米国?)日本のマスコミを操作して北朝鮮を窮地に追い込んでいるとしたら高度な政治的手段と言えるのだが・・。果たしてどうなるだろうか。

2002年9月18日 タイヤ交換

  • 最近車のタイヤしょっちゅう空気が減って困っていた。だいぶ溝も減っていたし、そもそもゴムが硬くてやたらスリップする怖い怖いSime Tire(マレーシア・ブランドのタイヤ)だったので交換することにした。Good year(タイ製だがやっぱりインターナショナルの品質)に変えるとぜんぜん良くなった。
    Sime Tireだとコンドミニアムの駐車場で下が濡れていると全くブレーキが利かず、一度柱に追突しそうになったことがある。寸前で止まって事なきを得たが。
    これでこういう心配もしなくて良くなりそうだ。今までのタイヤでは高い外国車(ニッサン・セントラ)に乗っている意味がなかったがようやく実力発揮というところか。

2002年9月16日 まゆの風邪

  • 一昨日からまゆが熱を出していた。それだけでなく皮膚にぶつぶつとできていて風疹かとも思ったがそういうぶつぶつでもなかったので違うとは思っていた。YANAママがSubang Jaya Medical Centreへ連れて行ったところウイルスが入って皮膚にも出ていたらしい。抗生剤で数日で直るということで一安心。

2002年9月14日 結婚式招待状

  • 今月は中国暦の8月で末広がりだからか縁起が良いということでチャイニーズの結婚式がやたらと入っている。今日が第一弾。この後毎週続く。正直疲れる・・。

2002年9月13日 JACTIM

  • JACTIM(マレーシア日本商工会議所)のイベントがあってプリンスホテルに行った。パネルディスカッションも「中国は脅威か?」というテーマでマレーシアに進出している日系企業の立場から論じたものでなかなか面白かった。たまにこういうのにカオを出すのも良いことだ。

2002年9月3日 ウォーキング

  • 人間ドックの結果が良くなかったこともありウォーキングを始めた。三日坊主で終わりがちなのを何とか続けさせてくれているのがパソコンで歩数を管理できる歩数計である。さらにインターネットにデータをアップデートすると全体で何番目くらいに居るかもわかり励みになる。少々高いが三日で使わなくなることを思えば十分価値はある。雑誌等で出ていたことは知っていたがまだ日本でしか売ってなかったので帰国した際に買ってきたものだ。はっきり言ってこれはオススメ。

2002年9月1日 グリー合宿

  • KLグリークラブの合宿があった。今回はBangiのEquatorial Hotelで行われた。日本人女性のマネージャーが色々世話をしてくれてエクストラベッドもタダだったしなかなか良かった。初めて20名を超えての合宿だったが声に厚みが出てきてなんか一段とレベルアップした感じがする。定演に向けて頑張ればさらに良いものになるかもしれない。

2002年8月28日 帰馬しました

  • 2週間の一時帰国休暇から戻りました。
    その間に期限が切れてしまったマレーシアの運転免許ですが、今日会社に言ったらあっさり午前中で書き換えをしてきてくれました。すごくカンタンに更新できるみたいです。日本みたいにうるさくなくて良いです。
    久しぶりの日本はやっぱり良かった。日本語でずっと通せるのはやっぱりラクといえばラク。ちょっとマレーシアに戻りたくないという気持ちもあったけど、戻ってくればそれはそれでやっぱり慣れた地、何も問題はない。
    空港からのタクシーがやっぱりガソリンスタントに寄って「あーマレーシアだなー」と思ったり・・。またこの生活に舞い戻りました。

2002年8月26日 能

  • 能楽堂(京都観世会館)に初めて行った。能はオペラと同じくストーリを知らないと何を歌っているのかよくわからない。動きなどは面白いが何本も見ることはとても無理だ。常連っぽい方も台本を見ながら観劇していたので、そういう風にしないとなかなか理解できないものらしい。
    間でやる狂言はわかりやすくて面白いのだが。まあそうやってメリハリがあって表裏一体なのが能と狂言ということなのだろう。

2002年8月25日 初めてのお茶屋

  • 生まれて初めて祇園でお茶屋というところに行った。まだ19歳の舞妓さんだったが、驚くほど客捌きがうまい。上手に話を合わせながらも適度に話題を提供してくれて、この年齢でありながらまさにプロフェッショナルであった。日本の水商売の原点はここにあったのだろう。銀座などはそういうものをうまく受け継いだのだろうが、地方に行くほどただの素人でどっちが楽しませているのかわからんようになる。でも京都では脈々とプロフェッショナルが生き続けていることに感服した。もちろん良い値段はするのだろうが下手なところで無駄に使うくらいならたまにはこういうところでお金を使うのも良い使い方なのではないだろうか。

    →祇園を紹介したホームページ

2002年8月20日 人間ドック

  • 東京で人間ドックを受けたが、軽い脂肪肝でしかもγ何とかとかの値が悪く体重も重すぎるようだ。マレーシアに帰ったら何かエクササイズを始めないといけなさそう。

2002年8月19日 新VAIO他買い物買い物

  • 新しくVAIOのノートブックを買った。迷いに迷った挙句NV77というタイプにした。それにしても日本はパソコンといいデジカメといいクルマといいやっぱり最新機種が並んでいて買い物することを止められなくなってしまう。マレーシアは1時代後れた機種が並んでいてしかも高いので買うのを躊躇してしまうが、それで我慢した分が日本に来たときに吐き出されてしまいついつい色々買ってしまう。それでもマレーシアよりも全然安い。圧倒的な品揃えと言い、値段と言いまだまだ日本は電機王国だと言えると思う。

2002年8月17日 信州

  • 木曽路を走る車窓の風景で涙が出そうになった。信州はやっぱり良い。先輩のIさんに松本駅から北アルプス・八方尾根に連れて行ってもらった。曇ってはいたがやはり北アルプスは素晴らしい。そして安曇野の田園風景に信州そば。日本を満喫した。

2002年8月14日 携帯レンタル

  • 一時帰国で関空に着いたがJALの携帯電話レンタルサービスで携帯を借りた。日本だけがGSMが使えなくて不便するがこういうサービスは良い。もはや携帯を持たないと色々と不便だがこういうサービスがあると役にたつ。

2002年8月9日 新商品発表セミナー

  • 今週はKL地区とペナン地区でホテルのBallroomを使って新商品発表セミナーを開催した。去年は展示会には出展したがセミナーの開催は初めて。どの程度お客が来るか不安だったが予想を越える出足で人が集まった。どうやらこちらの人はセミナーが好きらしい。一流ホテルを会場とするのでおいしいビュッフェスタイルのランチに午前・午後のティーブレイクにも軽食が付くというのが大きいのだろう。また「セミナーに出席した」というのもハクが付くのかもしれない。一般の展示会に出展するよりも効果は大きいかも。

2002年8月3日 エレベータ止まる

  • 買い物から帰ってくるとコンドミニアムのエレベータが2台とも動かない。仕方が無いのでコンドミニアム内のキャンティンでお茶をしながら1時間ほど待ったがまだダメ。夜になってきたので夕食を食べに行く事にした。久々に韓国料理に舌鼓を打って2時間ほどして帰ってきたがまだダメ。どうしようもないのであきらめて22階にあるウチまで階段で上がった。でも4歳の長女だけでなく2歳の次女までが頑張って階段を上がってくれたのには助かった。

2002年7月28日 独り善がりな音楽

  • ぼくがときどき行くKLの日本語の教会KLJCFでは、「リビングプレイズ」というのを歌う。
    以前からこれを歌うとき、非常に居心地の悪さを感じていた。
    賛美歌のような伝統的西洋音楽ではなく、たぶん60−70年代の米国で作られたフォークソングっぽいものなのでそれが自分に合わないのだろうということと、楽譜なしでOHPで歌詞だけ写すので歌がわからないことが原因だと思っていた。
    でも先週Kさんがピアノでこの「リビングプレイズ」の奏楽をされて楽譜も見ながら歌ったときは けっこう良い曲だと思った。
    そして今日はっきりとわかった、居心地の悪さの原因が。

    先週を除いて通常このリビングプレイズはFさんという方がフォークギターをかきならして伴奏と歌をされる。 今日はKさんがピアノで奏楽をされた上にこのFさんがギターと歌をやられたのだが、彼はKさんのきちっとしたピアノ伴奏を全く無視して演奏していた!自分勝手なテンポでギターをかきならし歌うのだ。
    これに僕達は楽譜も無くどういう音かわからない曲を歌詞だけを見て合わせて歌うのである。
    これってカラオケで好き勝手に歌っている上司に合わせて一緒に歌ってやっている状態と一緒、
    いや曲を知らない分それより悪い状態だ。心地良いはずがない。

    ここでふとよくKLグリーの指揮者亀井先生がおっしゃる「他人に聞かせる以上自分が酔うのではなくきちっと歌わないとあかん」ということを思い出した。
    たとえ教会での演奏であろうと、他人の前で歌う以上最低限きちんと音楽を演奏しないと他人に苦しみを与えることになるのだ。
    Fさんはご自分から進んで奉仕されて演奏されているのだからなかなか「きちんと他人が聞いて気持ち良いように演奏してください」とか「貴方は演奏しないでください」とも言えないだろうし、難しいところだ。

2002年7月23日 まみ退院

  • 結局入院から6日目にしてようやく退院となった。昨日にも退院と言っていたのだがまだ少し熱があるということで大事を取って1日伸ばしたのだった。でも病院に入ったことでだんだん回復に向かいむしろ僕達の気持ちはラクになった。Subang Jaya Medical Centreはホント良い病院で先生のおっしゃったことをきちっと佐藤ゆきさんが後で訳して伝えてくれるのでこちらもきちんと理解できる。ある程度英語はできるとはいえ、医学用語になるとなかなか全部を理解するのは難しいのでありがたいことだ。また看護婦さんから薬局の人、受付の人、掃除のおばさんに至るまで教育が行き届いていてどの人も対応が良い。まみも随分と可愛がってもらったようだ。やはりクアラルンプール周辺では今一番良い病院だ。色々驚き、心配もしたが結果的には
    Subang Jaya Medical Centreに来たことで良い方向に進んで良かった。これからは少し心配な症状のときにはやはりSubang Jaya Medical Centreに来るようにしよう。

    YANAママがずっと病院に泊まっていたためにまみには随分さびしい思いをさせたがずっと僕の言うことを聞いて良い子にしていた。彼女なりに状況を理解してできるだけ良い子にするよう努めていたようだ。まみの出産、YANAママの手術等今までも同じような状況を経てきているのでわかるのだろう。

    グリーの練習のときにはKさんに、また他のときにもお隣のOさんにまゆを預かっていただいた。どれほど助かったことか。助け合える人が身近にあって本当に幸せだった。ここマレーシアに駐在する者同士そうやって助け合う風土があるので助かる。日本の下手な都会に行ったりすると逆に難しいかもしれない。僕達も他人のために何かできることがあった場合は小さなことでもできるだけのことはしようと、あらためて思い直した。

    感謝です。

2002年7月18日 まみ入院

  • 13日にも書いたとおりまみが熱を出したのだが、なかなか熱が引かず15日の午後Pantai HospitalのDr. Lauのところへ連れていった。診断としては「風邪です」ということで抗生剤他いくつか薬を貰って帰ってきた。しかしさらに2日間経ってもまだ熱が引かない。おかしいので18日にSubang Jaya Medical Centreに行ったところ「肺炎」との診断で即入院となってしまった。当初、ただの風邪と思っていてDr. Lauの診断もその通りだったので甘く見てしまったようだ。反省。
    Dr. Lauはただの問診・触診等だけだったがSubang Jaya Medical Centreは血液を採ったりレントゲンを取ったりで調べ方が全然違ったようだ。やはりちょっと大きな病気の可能性があるなと思ったときはSubang Jaya Medical Centreが良い。

2002年7月14日 新月会コンサート

  • 今日は日本最古でかつ最高峰である関西学院グリークラブOB会「新月会」のKL公演がJapan Festivalの一環として行われた。そしてこの公演のマネージおよび賛助出演として我がKLグリークラブも参加した。

    驚くべきことに開演1時間前から人が来始めた。未だかつてない出足。会社の音楽好きのスタッフに声をかけたり(その仲間が合唱をしているらしい)、地元のThe Philharmonic Society of Selangorにもメールで知らせておいた甲斐があったかも。もちろん団長・副団長の働きでローカル紙2紙にも紹介記事は既に出ていたのが大きいのだろう。

    予想以上の来場者で開演時間の午後8時半を過ぎても人を少しずつ人を入れて通路に座らせておりざわついたままの状態で5分ほど予定を過ぎて新月会の演奏が始まった。力強いコーラスが会場に響き渡るとお客さんが「おおっ」という感じで演奏に引込まれた感じ。第1ステージ最後のRide the Chariotで指揮者の広瀬さんがパッと後ろを振り返ってソロを取られるというパフォーマンスに観客は大いに沸いた。 すっかり良い雰囲気の中いよいよKLグリークラブの出番、第3ステージ。

    ここまで新月会の方々が作ってきた良い雰囲気を壊さずに、楽しいステージにしたいと思いながら挑んだがやはり最初みんな随分あがっていたようで、最初の曲Click Go The Shearsでは緊張のあまり暴走気味になるのを亀井さんが必死で押さえていたような感じ。
    でも続くCarmen Carmelaで真鍋さんのギターソロ、清水さんのピアニカが良い雰囲気でそれに乗って落ち着きを取り戻した。
    正直、やっぱり新月会と比べると人数も全然少ないし技巧的にも断然落ちるので見劣りがするのは仕方がないが、「この人達は歌がとっても好きで楽しく演奏しているな」、という雰囲気は観客の方にも感じていただいて楽しく聞いていただけたと自負している。

    最後の第4ステージは新月会とKLグリークラブの合同のステージ。新月会のみなさんと一緒だと既に十分ボリウムはあるし無理することなく音楽に身を委ねられた。
    最後の曲Sejahtera Malaysiaでは観客の興奮は最高潮に達し割れんばかりの拍手のままアンコールへ。
    マレーシアが生んだ俳優であり映画監督・作曲家・歌手というマルチタレント、P. LamleeのGetalang Jiwaをアンコール曲として始めてメロディを広瀬さんがソロで歌い始めると会場中が大拍手でマレーシアを代表するこの曲にさらに会場は興奮の極みとなるが、しかしこの美しい曲を聞き逃すまいとその後はしっかり耳を傾けて、ホール中が良い一体感に包まれた。

    演奏が終わってからもまだアンコールが鳴り響く中、我々は楽屋に入るや否やさっとお客さんを追い越してロビーに駆け下りた。そしてロビーで再度歌い始めた。これをロビーストームというらしいがこれにはお客さんも大喜び。5−6曲は演奏したか、その間ずっと演奏が終わるたびにアンコールです。さすがにここらで止めを刺そうということで最後にロビーでもう一度Sejahtera Malaysiaを歌い出すとホール内では遠慮していたお客さんもここではみんなで大合唱。マレー系もチャイニーズもインド系もそして我々日本人もみんな一緒になって「Sejahtera Malaysia」の声がロビー中に鳴り響き一体となって終わった。歌を通じて一つになった幸せな瞬間だった。

    終わった後もローカルの人が写真にいっしょに入ってくれと言って来たり、コーラスの指揮をしている人と話したり、ロビーでそのまま色々な交流が繰り広げられた。今回のコンサートを機にKLグリークラブの存在もマレーシアの音楽好き、歌好きの人に知られるようになったと思う。これからもっともっと交流が広がりたまには何かいっしょにできたりすると楽しいだろう。
    それもこれも新月会の方々が遠く日本から来られて、それも半年も前からずっとこのマレーシア公演のために練習していただいて素晴らしい演奏を披露してくださったお陰。新月会のみなさん、本当にありがとうございました。そしてまたいつか一緒に歌うことができれば幸せです。
    ではまたいつかどこかで!See you again!

2002年7月13日 新月会歓迎会

  • 明日のコンサートの為に来馬された関西学院グリークラブOBの新月会のみなさんの歓迎会をBangsa Sea Foodで行った。
    まず、歓迎会会場に入場してこられたとき、「うわっ!老人会だ」と思った。どうみてもおじいさんとしか見えない人が一杯だったのだ。正直、会社のスタッフとかに「日本一の男性合唱だからぜひ見にきて」と案内したことがチョッピリ不安になってしまった。

    しかいその後宴会が始まってからのパワー・・・。みなさんうれしそうに色々と話してくれて、熟年パワー満開。

    そして極めつけは、Old Kwansei以下の歌。レストランでおじいちゃんたちが歌い始めたのだが、何でこんなに迫力のあるハーモニーを醸し出せるのか、ホントに驚いた。圧倒された。
    70歳を超える方も居たと思うが、打ち込めることがあるのはホント幸せ、若さの秘訣。

    ホントは家族で行きたかったのだがまみが熱を出したため一人で参加。

2002年7月10日 Mさん一家来馬

  • 会社の節目休暇を使ってMさん一家がランカウイに行って、その帰りKLに寄ってくれた。昨日までKくんが来たりしてMさん一家は世話できなかったので有給休暇を取ってKL市内を案内して家にも連れてきた。長男のHくんはまみと同い年でとても可愛くて「男の子もいいなー」と思ってしまった。ランカウイ、KLとマレーシアをなかなか楽しんでいただいたようで良かった良かった。

2002年7月9日 Kくん来馬

  • 組合の視察ということで同期のKくんがKLへとやってきた。せっかくの機会なので海外勤務の実態を知ってもらおうと色々と見せ、話をした。果たしてこれで組合本部まで伝わったかどうかわからないが・・。組合にしても会社にしても本部・本社の人は実態はぜんぜん知らないままにルールを決めてしまうのでこういう機会に少しでも現実を理解してもらうよう努めたつもり。

2002年7月6日 ジャカルタ出張

  • 水曜日の夕方からジャカルタへ出張してきた。
    インドネシアは初めてだったが、一見マレーシアとほとんど同じに見えた。街の感じ、高速道路の標識の色、マレー(インドネシア)語の看板、あまり変わりない。ただ随分渋滞するなあ、というのと地元で草サッカーの試合が終わった後えらい騒いでいたのが印象に残ったくらいだった。しかし一晩経ってお客さんへの訪問をスタートしてみると、昼食後にメイン道路に誘導してくれたお兄ちゃんがおカネを要求して来たり、Uターン路でもお兄ちゃんがおカネを要求して来たりする。信号待ちのときには物売りがやたら寄ってくる。お客さんの話によると原材料を運び込むトラックにも重さに応じて勝手にお金を請求してくるとのこと。だんだん一見しただけではわかりにくい実態が明らかになってきた。
    夜になってから以前KLグリークラブに居て現在ジャカルタB&B合唱団に所属するKさんにB&Bの練習に連れていってもらったが、日が落ちるのが早い上に街灯などがあまり明るくないせいか家の照明が暗いのか、とにかく街がやたらと暗い印象だった。B&Bの練習場は個人宅なのだが30−40名は入れそうなグランドピアノを置いた音楽室とでも言うべき部屋を備えた大きな家であった。そういう会場でやっているせいか、女性もいらっしゃるせいか何かとても上品な方々がやっていらっしゃる合唱団という感じがした。その後夜の街にも案内してもらったが昼夜を問わずとにかく一人歩きは絶対できないということから何かずっと緊張感の絶えない感じだった。
    市場としてみるとまだまだ伸びているので面白みはありそうだが、家族帯同で住むのは相当大変ということを実感した。事実在留日本人はジャカルタだけで約1万人とKLを上回るものの日本人学校の生徒数はKLの約半分の800人と圧倒的に単身赴任者が多いという事実からも行くのなら単身でないと厳しいところだと感じだ。

2002年6月29日 上海出張

  • 水曜日から4日間、上海と大阪に出張してきた。

    東南アジアから行ってみると上海はすごく日本に似ていた。植生、建物の感じ、高速道路の作り方や道路標識の色の使い方、
    日本と中国はもちろん全然違う国なのだが、マレーシアから見るとすごく似ているように見える。繁華街である南京東路などはまるで大阪のミナミ、心斎橋や道頓堀を彷彿とさせる。歴史のある西洋風の建物の上に景観にまるで配慮していない目立ったもん勝ちという看板をいっぱいつけているところに大阪人に相通じるものを感じる。商売人の考え方はどこでも同じか??
    それに引き換え浦東地区はさしずめ、幕張新都心/お台場と言ったところか。(でも建物の高さと数はそれ以上)ほとんどアジアっぽさを感じない近未来都市であった。
    一方日本人の多く住む虹橋の住宅街は日本の新興住宅地の雰囲気が漂っている。
    ただ問題はコトバ。タクシーに乗っても英語はほとんど通じない。従って住所を見せて何とか理解してもらうしかない。住むとなるとやはり中国語を勉強しないわけには行かないだろう。それと当社の場合僕たちレベルの社員(現地でマネジャークラス)には車は与えてくれなくてタクシーで通勤しないといけないというのも苦労しそうなポイントになる。もし住むことになったならばマレーシアとはまた違った生活になるだろう。

2002年6月23日 GT参加者からのメール

  • 今日セパンサーキットで決勝が行われた全日本GT選手権レースのスタッフの方から18日付でメールをもらっていたことに今朝気づいた。出発前に現地事情(特に日本食材の入手性)を知りたかったらしい。でもすでに出発した後どころか今日が決勝だった。今更ながら返信したが何の役にも立たなかっただろうな・・。申し訳ないことをした。

    でもドライバーのコンディションのために日本食をつくってあげようという心遣いが良いですね。
    そうやってチームでサポートして選手も好成績を出せるのでしょう。

    ホントいうとどこのものでも食べられる逞しさが海外で成功する秘訣でしょうが。
    トルシエも選手たちにそういうことを求めていたようだし。
    まあ全日本GT選手権レースは第4戦だけたまたまマレーシアでやるというだけで国際性は必要ないのかもしれない。

2002年6月22日 The Philharmonic Society of Selangor

  • 日馬プレスを見て突然思い立って" The Philharmonic Society of Selangor "という合唱団のコンサートを見に行った。
    総勢50−60人くらいの混声合唱で1958年創設とかでこの国ではトップクラスの合唱団のようだ。メンバーはチャイニーズが多いがインド系や西洋人(たぶんイギリス人)もけっこう居た。
    演目はマレーシア・オリジナルのオペラの曲からモーツアルトのIDOMENEO, ヴェルディのLa Traviata、ミュージカルのウエストサイドストーリーまでヴァラエティに富んでいた。
    ゲストでソプラノとバリトン歌手もいて、ソプラノのおばさんはなかなかの迫力でした。
    でもこの The Philharmonic Society of Selangor を見ていて思ったが、KLグリーもそう捨てたものではないかもしれない。見ていてさほどレベル的には変わらない気がした。イギリスへ留学していたとかいうおばさんが指揮者なのだが、我がKLグリークラブの亀井・樫村両御大に比べると???って感じ。やはり指揮者の指導が大切なのだろう。我々はとても恵まれている。感謝。

    パンフレットによるとホームページもあったので、早速メールで7月の新月会の公演のことを案内してみた。日本のトップの合唱団を見ることは彼らにもいい経験になるだろう。何か反応が返ってくると良いが・・。

2002年6月21日 10th Anniversary Dinner

  • 現在駐在しているマレーシア現地法人の10th Anniversary DinnerをHotel Nikkoで行った。今回は例年のAnnual Dinnerと違い、イベント会社を呼んでダンサーやゲーム等色々と企画をしたため例年と比べても一段と盛り上がった楽しいディナーだった。
    一通りのメニュー終了後はディスコタイムとなったのだが、若いスタッフからトップまで。またゲストも含めてみんなで踊ってとても楽しいひとときだった。こういうときにこっちの人は恥ずかしがらずにみんなで楽しむので自分までとても楽しい気持ちで居られる。
    実を言うとHotel Nikkoの対応が非常にシビアで交渉段階ではあんまりいい気持ちはしていなかったのだが、終わってみればなかなかのファシリティを提供してくれて食事も悪くなかったし気分良く終われたので、結果良ければ全てよしというところかな。*/

2002年6月18日 ワールドカップ・対トルコ戦

  • 負けるときはこんなもんだろうか。コーナーキックからすごく高いヘディングで1点取られたかと思うと日本にあせりが見え始める。予選と違い後がないことが余裕を無くしているのか?結局後半に入って選手を代えても硬直した状態は打破できずに終わってしまった。結果論から言うと何故先発に西澤と三都主を使ったのかということにもなるだろう。細かいことが少しずつ気持ちに余裕を無くしていたのかもしれない。今から思うとベルギー戦は1点負けていても予選ということもありまだ気持ちの余裕があったんだな。
    今回は前回ロシア戦でもらった分も含めてスタッフとの賭けは取り返された。結局トータルでは少し負けた。まあワールドカップを楽しむ遊びだったから良いのだけど。

2002年6月16日 T君

  • 昨日、今日と大学時代の友人T君がバリへの新婚旅行の行きがけに寄ってくれた。素敵な奥さんをもらってずいぶん落ち着いたかなという印象。さすがに30代も後半ともなると当然か。

2002年6月14日 ワールドカップ・対チュニジア戦

  • 快挙だ!遂に勝った!ロシア戦に勝った時点で1次リーグ突破は信じていたので今日は会社は休まずに居たがやはり経過が気になる。インターネットで経過をチェックしているスタッフが1点取ったと教えてくれる。会議室のTVをときどき見に行く。よし、このまま行けば勝てる!そうして2点目が入り勝ち!さすがに今回は誰もが日本が勝つと思っていたらしく賭けをしてこなかった。

2002年6月9日 ワールドカップ・対ロシア戦

  • ロシアの動きが鈍い。やはり気候が味方しているのかもしれない。日本がほとんとボールを支配し結局稲本の虎の子の1点を守りきった。ロシアの実力が落ちていて勝つべくして勝ったという感じ。しかしその後のニュースでモスクワで日本人に対する暴力があったとの報道。全くひどい国だ。
    ロシアが勝つと思っていたスタッフが多かったらしく、何人かのスタッフからいただく。

2002年6月4日 ワールドカップ・対ベルギー戦

  • こちらの現地時間5時キックオフということで試合開始からは見られなかったが会議終了後5時半頃から会社で観戦した。(定時は5時15分) 盛り上がるためにローカルのスタッフ達と昨日のうちに小額の賭けをしたがほとんどのヤツがベルギー側に駈けている。まだまだ日本は欧州のチームより弱いという認識らしい。彼らはサッカーには目がないので最初は会議室の普通のTVで見ていたが、物足らないらしくプレゼンテーション用のプロジェクターを持ち出してきて小さなTVにつないでミニシアター状態にして10数人のスタッフと観戦した。(といっても大半がベルギーを応援)
    先制されたときにはかなりやばいと思ったが直後に小野の絶妙なパスを鈴木が良く追いつきゴールしたのには感激した。さらに稲本の華麗なステップで切り込んだゴールで「これはいける」と思ったがまたFKから追いつかれ勝利を目前にしながら勝てなくて惜しい試合だった。でもこれまでの日本なら先制されたら嫌なムードになってどんどん硬直してきたものだったが、今回はすぐに追いつき一旦は逆転したのだから大したものだ。
    プレー見ていると小野の激しいプレーを始めとして持ち味を存分に発揮していた稲本、そして厳しいマークの中でも安定したプレー見せてくれた中田と欧州でプレーしている3人が特に光って見えた。やはり海外で一人で(スタッフは日本人が居るのかもしれないが)チームに入っていることはひと回りもふた回りも成長させてくれるのだろう。いやー海外経験ってホント大事だね。

2002年6月1日 結婚6周年はJ. W. Mariottに泊まる

  • 結婚記念日に家族でJ. W. Mariottに泊まった。トータルとしては非常に評価に困るホテルで恐らく2度と泊まることはないだろう。まあ会社でAnniversary Dinnerに使おうかと候補に上げていてそれには使っても良いのだが。

    まずチェックイン時に僕はMarriot Rewardsという会員カードを持っていたのだが、特に特別カウンターでチェックインをさせてくれるでもなく、チェックイン手続きにえらーい時間をかけてくれた。(20分以上かかっていたと思う。まあEastin Hotelなどの4ツ星ホテルでは良くあることだが) 5ツ星ホテルでしかもカード会員に対する対応とは思えない。
    チェックイン後土曜日のお昼に中華レストランの点心(飲茶)を食べたのだが非常においしく、レストランも高級感があり満足であった。
    しかし夕食にとったルームサービスは1時間も待たせたあげく、督促してようやく持ってきたと思ったら、パスタはまったく塩が入っていないかのように水臭く、信じられない味であった。ただ家から持ち込んだオーストラリアのスパークリングワインが素晴らしく、そのおかげで楽しいディナーにはなった。
    その後風呂に入ってフェイスタオルがないことに気づきHouseholdに電話したが持ってこない。また督促するのも嫌になってきて放っておいたら結局朝まで持ってこなかった。
    日曜日はもうすっかり諦めの心境だったが、せっかくだからとよくラジオで宣伝している「Mariott Cafe」をこの機会に試してみたが、ここで食べたクラブサンドウィッチが意外なことにおいしく、またスタッフの対応もとても気持ちよくとても同じホテル内にあるとは信じられなかった。
    最後の極めつけは、地下パーキングに下りて運転しようとするとフロントガラスにメッセージがあって「洗車しておきました、またJ. W. Mariottをご利用ください」というようなことを書いてある。ここまでしてくれるホテルは初めて。

    どうもセクション毎に相当なサービスレベルのバラツキがあるように思える。これはホテル全体としてサービスレベルの向上に努めているというよりも各セクションに任せっきりになっていて結果としてチャイニーズあるいはインディアンがメインのセクションはサービスレベルが高く(前述の洗車のように経験したことがない素晴らしいところもある)、しかしマレー系主体のセクションは考えられないサービスレベル(タオルを頼んで持ってこなかった5ツ星ホテルは初めて!)であったりするようだ。全くもったいない話だ。

    とにもかくにも不思議なホテルであった。まあ今回はインターネットでとーっても安いレートで宿泊できたので文句は言うまい。

2002年5月29日 手足口病けっこう流行していた

  • まみの手足口病もようやくほとんど完治したが、後で色々聞いたところによると日本人学校を始めとして日本人の間で手足口病がすごく流行していたらしい。同じコンドミニアムでも知り合いの子供たちの多くが感染していた。今回の流行は比較的軽い症状のものだったため全般的にはそれほど問題にはならなかったようだ。
    でも僕の口内炎は今だ続いていて年をとるほど治りが遅いのだろうか??

2002年5月27日 何とか峠は越えた、手足口病

  • まみの手足口病だがどうやらだいぶ良くなって来た。幸いなことに水は結構飲めたので脱水症状になることもなく、だんだん食べられるようになって元気になってきた。昨日からは熱も引き、何とかこのまま良くなってくれそうだ。

2002年5月25日 手足口病

  • どうやらまみが手足口病にかかったらしい。熱が出た後口の中を痛がりよく見ると手や足に湿疹もできている。Pantai Hospitalに行ったが口の中に塗る薬と解熱剤を出してくれて様子を見ろとこのこと。一番良くないのが水分が取れなくて脱水症状になることでそうなった場合は点滴を打たないといけなくなるらしい。とりあえず水分をできるだけ取らせるよう心がけて対応することにした。
    実は僕自身も一週間前から口内炎ができている。会社の同僚も同じことを言っていたし、ボスも口周辺に何かできものができていた。もしかするとウチの会社で流行していてもらってきてしまったのだろうか。ひょっとすると創立記念日のボランティアで衛生状態が良くなくそこから菌をもらったのかもしれない。ボランティアは良いが(色々と免疫のない)外国人はある程度衛生状態を気をつけないといかん、今後気をつけよう。

2002年5月22日 大きな会議

  • 会社のアジア・パシフィック地域の年度始めの会議(当社では"Kick Off Meeting"と呼んでいる)があり本社の副社長始め色々と偉い方々がやってきた。この会議のために会議室を少し改装したり、食事のアレンジなどローカルのスタッフたちは一生懸命にアレンジをしたが何とか無事に済んだ。ディナーはCarcosa Seri Negaraのマレー料理だったが食前のカクテルから用意されていてなかなか素晴らしいArrangementであった。
    副社長はオフィスにかかっているマハティール首相の写真(20年くらい前の?)を見て「君似ているねえ」などと言っていた。これでカオくらいは覚えられたかな?

2002年5月20日 不思議な縁

  • マンダリンの2回目のレッスン。前回先生に名刺を渡したのだが先生が帰宅後ご主人に見せてびっくり。ご主人が30年前に日本に居たときにウチの会社で研修をしたことがあるらしい。先生は上海出身で台湾で勉強し日本にも10年以上居たらしいがご主人とそんな縁があったとは全く驚きだ。当時まだまだ小さい会社であったろうになぜまたウチの会社だったんだろう。不思議不思議・・。

2002年5月19日 ミュージカル「Fame

  • ロンドンがオリジナルのミュージカル「Fame」がマレーシアにやってきた。昔フラッシュダンスのちょっと前にアイリーンキャラが主演で映画にもなっていた奴である。
    今回はまゆまみをベビーシッター(実はお隣のアマさん)に預けることに成功しYANAママと何年ぶりかの夫婦水入らずでIstana Budayaへと向かった。
    幕が開くとそのダンス・歌のパフォーマンスのレベルの高さに驚いた。どの俳優・女優の歌も安定していて素晴らしい。今回のキャストはオーストラリアのスタッフが中心のようだが本場ミュージカルのレベルの高さを堪能させてくれた。これほどのホンモノがマレーシアで見ることができたことは幸せである。秋には「Cats」の公演も予定されているらしく必ず行きたい。

2002年5月13日 マンダリンを始める

  • 自宅近くのコンドミニアムにある教室で中国語(北京語=マンダリン)をスタートした。マンツーマンでのレッスンだが、発音が非常に難しくとにかく先生の後について真似するだけで精一杯。まあまともに使えるには時間がかかるだろうが、少しフレーズを覚えたら会社で試せるのがマレーシアの良いところ。音に慣れるのだったらラジオも聞けるし。

2002年5月11日 マレーシア・チャニーズの3大テノール

  • YANAママのチェロの先生からの情報で マレーシアのチャイニーズ系の3大テノール(!?)
    のコンサートに行ってきた。行ってみると先生がコンサートのPresidentを務めていた。
    コンサートはPCCOというチャイニーズのオーケストラとの共演だったが、オーケストラと言ってもほとんどの楽器は中国楽器(胡弓とか琵琶とか)で中国の歌が中心でちょっと不思議な感じ。まあこういうものを見られるのもマレーシアに居てこそだ。
    中国楽器のことは良くわからないが、出だしが揃わない時があったりして、レベルは?って感じ。いつもグリーで指揮者に言われていることなので、聞く立場になると「なるほどこうなるのか」と思ったりした。

    ポスター、パンフレットでは3大テノール的に扱われているが、一番若いお兄ちゃんはまだ素人に毛が生えた程度でちょっと落ちる感じ。一番年上の人はイタリアに長くいたそうで、さすがになかなかだったが。

2002年5月10日 創立記念日のボランティア

  • 会社(本社)の創立記念日で、マレーシアの現地法人でも例年通りボランティアの一日となった。
    今回はKLからかなり遠い(80kmくらい)のKuala Kubuというフレーサーヒルへの上り口の街にある障害者の施設に行ったのだが、ちょうどその施設に10年くらい使っていない家を寄付した人があって、その家を片付けて使える状態にするというのが主なミッションであった。
    入ってみるとそこはものすごい状態でゴミの山状態になっているのを片付け、古くなって埃だらけでどうしようもない家具などをみんな出して捨てた。でも一部の家具や食器などは「まだ使う」と言って洗っていた。
    そのあと壁や天井のペンキを塗りなおすと何とか使える状態に近づいては来た。しかし壁とか汚くなっていてもあまり気にせず上塗りしてしまうというところが、何か日本とは根本的に違う気がする。
    クモにゴキブリにアリにネズミと色々な生き物がうようよ居てあまり気持ちの良いものではなかったしまた久々に肉体労働に明け暮れ、滅茶苦茶疲れた一日となった。

2002年5月5日 35歳

  • 今日で35歳。30代も後半に入ったワケだが20代よりもはるかに早く月日が過ぎていく感じがする。自分としてはとても年齢相応に成長しているようには思えないが、そんな中マレーシアに来てから新しい経験は多少はできている気はする。あと5年すると40歳、とても年齢に相応しい状態になっているとは思えないが何がしか新しいことをやってみるよう心がけるつもり。

2002年5月1日 ディズニー・オン・アイス

  • Labour Dayの休みを利用して「Disney On Ice」のマレーシア公演を見てきた。ぬいぐるみを着たディズニーキャラクターばかりかと思っていたがちゃんとしたスケーターがアイスダンスをする本格的なショーであった。さすがはエンターテイメントの本場アメリカのショーである。 まゆは相当刺激をうけたらしく帰ってからも熱心に毎日パンフレットを眺めている。

2002年4月25日 Culpeper House / 交通違反

  • Agon(国王)の就任式でPublic Holidayとなったので買い物に行った。今日の目的地はMines Resortの2FにあるCulpeper Houseである。本店はイギリスにあるハーブ/アロマ関係の老舗で、以前ロンドンのコベントガーデンで入ったことがあった。青山にも支店があるらしい。店員のお姉さんもきちんと勉強していて色々なハーブ/アロマの効能を説明して教えてくれてとても好感の持てる店だ。マレーシアでアロマ関係ならば絶対にここ。
    ちなみに支店がMid Valley Mega MallMetrojaya内とLegend Hotel内にある。

  • Mines Resortを後にしてグリーの練習があったため日本人会へとクルマを走らせたのだがMid Valleyからずーっと渋滞が高速道路上まで連なっていてなかなか動かない。練習時間に遅れそうになったので、「ええい!」とばかり路肩走行をして行くと、しっかりポリスが待っていた。マレー語で「止まって!」という感じで言っていたので観念して免許証を出した。最初マレー語で何か言っていたがこちらが全くわかっていないことに気づいたらしく「Japanese?」と聞いてきたので「そうだ」と答えると英語で「反則切符を切るので警察署へ行ってRM300払え」という。えらい高いなあと思いながら「急いでいるので警察に行く時間はない」というと、しばらくは「いや、警察に行かないとダメだ」という感じだったが、そのうち「そういうことなら自分にRM100渡せば良い、なかったことにしてやる」という態度に変わってきた。ははーん、こういう手口で自分のポケットに入れるんだとわかったが時間を無駄にしたくなかったのでRM100渡して解放してもらった。一般に警察官の給料は低くRM1000くらいと言われている。RM100の臨時収入はさぞかし大きかったろう。ローカルが一緒だったらRM50くらいにまで値切れたかもしれなかったが、日本人価格ということで仕方がない。

  • 夜また羽アリがたくさん来た。家の周りを見回してみると上昇気流がえらい吹いていてどうやらそれに乗って22階まで上がってきているようだ。気象条件によって上昇気流が吹くことがあるらしい。

2002年4月14日  Bang & Olufsen

  • デンマークの高級オーディオBang & Olufsenの店がStar Hill Centreにできたというので見に行った。ホンモノを目にするとそのデザインの素晴らしさ・クオリティの高さを実感した。本当におカネをかけて作られている。ちょっとやそっとで買える値段ではないが、店員によると横浜から旅行で来た人が「日本に比べるととても安い」とのことで買って日本に送ったとのこと。AC110/220Vの切り替えもサービスに出せばできるということだし、製品のライフサイクルも長いのでサービスを受けられる期間も長いだろう。20年使うつもりであれば高くてもそれなりに値打ちはあるかもしれない。

2002年4月10日 宝塚ファミリーランド閉演

  • 新聞に宝塚ファミリーランドとポートピアランドが来年で閉演すると出ていた。ファミリーランドは実家から電車で15分ほどで、小さい頃から母に良く連れて行ってもらった場所で無くなるというのは大きなショックである。中でも電車館は阪急電車の古い車両やミニチュアなど色々と展示してあって僕が電車好き・乗り物好きになった大きな要因のひとつであっただけに残念だ。考えてみると野球が好きになったのも阪急ブレーブスだったし、阪急の沿線開発に大きな影響を受けて育った。しかしその阪急も沿線の人口減少に直面し次々と歴史あるモノを無くしたり売らなければならなくなっているのだろう。仕方ないことではありながら本当に寂しいものだ。
    しかし日本国内が人口減に転じ国内市場がどんどん縮まっていくと色々なものが無くなってとても不便になっていく。それを防止するのはもう外国人をどんどん受け入れるしかないのではないだろうか。観光にしてもいちいちビザ取得の必要な国なんてよっぽどの動機がないとわざわざ行こうとは思わないし、ましてや働こうにも色々と厳しすぎる。イギリスやフランスのように外国人(彼らの場合は元の植民地の人が大半だろうが)をどんどん取り込んで行かないと成熟・衰退期に入った国を活性化することはできない。モノカルチャーであることを元手に安全を確保するのではなく色々な人を受け入れながら安全は自分で守るよう大きく考え方を転換しながら、外国人・外国企業を取り入れていくことしか道はない。

2002年4月7日 IKEAは日本にない!? & ブロードバンドの実力

  • 今日1UtamaIKEAに行ったらついつい何かと買ってRM200ほど使ってしまった。どうもあの店に行くと欲望のツボを押される。欧州のセンスが手ごろな価格で買えるというところがツボを大いに刺激するのだ。考えてみると子供の頃から欧州のモノが実家にはあった。もちろんIKEAの家具もだ。
    日本に帰っても生活に必要な家具・雑貨はIKEAで揃えようとインターネットで調べたら、なんと日本にはIKEAがない!昔神戸にあったのになー。
    3−4年のうちに再上陸するという記事はあったが、それでは間に合わないかもしれない。ある程度こっちで買っていくかな。

  • ブロードバンドの速度を計測するサイトを偶然見つけたので今使っている無線インターネットの速度を計ってみた。結果は以下のとおり。日本のADSLよりは全然遅いがISDNよりは早く、まあ無線インターネット会社との契約通り(契約は 256 kbps )と言ったところだ。
    • 測定時刻:2002/4/7(日) 18:23:56
      回線種類:無線
      対象サーバー:plala
      計測結果:0.224Mbps
      計測サイト:http://www.broadland.jp

2002年4月5日 Wくん来る

  • おとといから僕の前任者であるWくんが日本から遊びに来た。昨夜はウチのスタッフと会食をしてパサマラに行ったためにゆっくり話できなかったが、今日少し話ができた。日本は(ウチの会社は)かなり深刻な状況らしい。やはり次の赴任地を考えてそれに向けて準備をしていかないと日本には仕事はあまりなさそうな感じがする。マンダリン始めなきゃな。
    あとはここのマレーシアの会社をきちんとした状態まで持っていくことで色々なことがトータルで理解し今後に生かせるようになるだろう。

  • パース旅行でイルカを見たときに興奮していてデジカメ(IXY DIGITAL)を首から下げていることを忘れいつのまにかデジカメが濡れてしまい結局壊れてしまった。(キャノンで調べてもらったが修理代がRM150以上かかるとのこと)
    ということでWくんに新しくIXY DIGITAL 200を買って持ってきてもらった。型落ち寸前ということで39800円+消費税とかなり安く買えた。

2002年3月31日 男性カルテット

  • KLJCFのイースター礼拝にKLグリーのメンバー4人で男性カルテットを組み、聖歌隊として奉仕した。音取りは出張のクルマの中などでやっていたが、合わせるのはほぼぶっつけ本番だったが何とかなったかな?ただ最後の曲のキーが3度くらい高くなってしまい「ええっ?これでやるの?」と戸惑いながらの歌になったが。

2002年3月30日 羽アリ

  • 去年もそうだったがこの時期羽アリが発生するらしい。夜になると台所の電燈に引かれて集まってくる。今日けっこう見かけたので退治するのに数日かかりそうだ。
    退治すると言っても見つけたら地道に殺虫剤を撒くしかない。できるだけ外で見つけて家の中に入る前に何とかしよう。

    また普通のアリも今の時期たくさん家の中で見かけるようになってくる。アリには「Ant killer」という薬を部屋の隅っこなどに盛っておくと彼らは巣に持ち帰りその後毒が回って全滅する。 パサマラム等で売っている中国製の薬だがこれは効果てきめんでとても重宝する。

2002年3月25日 両親来馬

  • 22日夜から両親がタイ出張のあとにKLに寄ってくれた。一緒にMandarin Oriental Hotelに泊まった。今回クラブフロアでツインとダブルと一部屋ずつ取ったのだが、ホテル側で気を使ってくれたのかApartment式の2bedroomのスイーツを取ってくれた。一部屋がダブルでもう一部屋がツインでその間がリビングになっている。両親と僕たち夫婦、そして子供たちと家族水入らずで過ごすのには最適な部屋でとても良かった。
    今回はYANAママの風邪が治らないこともあり(熱が下がらない)、基本的には部屋でゆっくり過ごし、せいぜいKLCCに散歩に行ったりペトロナス・ツインタワーの展望デッキに上がったりという程度であまりうろうろせずゆっくりと過ごした。
    Mandarin Oriental Hotelに泊まるのは1年3ヶ月ぶりだが、ホテルの規模が大きいのとマレー人中心のスタッフの対応があまり良くなくて好きではなかったがやはりロケーションが良い。ツインタワーを部屋の窓から見て、またその周りも美しい景色が広がっている。クラブラウンジは広くスナックのChoiceも多く、なた24Fにあるため景色が良く値打ちがある。改めてその良い点を見直した。

  • 両親が帰ってから髪を切りにいつものPlaza Mont Kiaraのチャイニーズのやっている美容室に行ったが混んでいて「35分後に来てくれ」と言われた。そんなに待つのも嫌なので同じPlaza Mont Kiara内にあるインド人のやっている理容室で切って貰った。赴任した頃はよう入らんかったが今じゃ何とも無くなった。帰宅してからYANAママに後ろの仕上げ方がちょっとヘンだと言われたが、RM15と安いし待たずにすんだのでよしとしよう。

2002年3月21日 YANAママの風邪

  • 毎年のことだがチャイニーズニューイヤ以降5月ころまでが最も暑く、体も疲れるのか体調も悪くなってくる。今年はYANAママがかなりヘビーな風邪を引いてしまった。
    近所のクリニック「Klinik Segara」は夜10時までやっていて、風邪等の簡単な症状は診断し慣れているらしくテキパキと診てくれてなかなか良かった。

2002年3月20日  厳しい評価

  • 上司との面接のためシンガポールに行った。今回仕事で初めて車でシンガポールに行ったが所要時間も飛行機とそれほど変わらず案外良い。ERPを借りたりするのがメンドーではあるが。
    それはさておき面接では2001年度下期の成果について話した。それについてはまあまあの評価にはなったのだが、そのことよりも仕事に対する姿勢について問われた。(昇進を推薦するか否か、ということだろう。もちろん今回は否。)
    要は「きちっと真面目に仕事をこなしてはいるが、何がやりたいのか見えてこない。だから積極性が現れて来ないし自己啓発も中途半端に終わっている。」というような趣旨であった。
    これはまったく鋭い指摘でズバリ言われてしまった。実を言うと海外勤務をひとつの目標としていた為にその次の具体的な目標を立てられずにズルズル来ているところがあるのだが見事に見抜かれてしまっていた。
    仕事自体も日本にいたときより広範囲になってそれなりに面白いのだが、ある面漠然としてしまっているところがあるかもしれない。
    何にせよ早急に次に向かって目標をたてていかないと話にならない。

2002年3月17日  コタキナバル

  • 15日から3日間、連休を利用してボルネオ島・コタキナバルに家族で行って来た。といっても基本的にはShangri-La's Rasa Ria Resortで過ごしてコタキナバルの街には出ていないのだが。
    詳しくは →コタキナバル旅行

2002年3月11日  水不足

  • チャイニーズ・ニューヤーのあとは一年で最も暑い時期だが、今年はそのうえ雨が少なく水不足が深刻化してきた。KL周辺でも給水制限や一部では断水も発生してきているらしい。幸い今のところ僕たち一家が住んでいるMont Kiara地区は特に給水制限は出ていない。

2002年3月9日  VAIOアップグレード

  • 98年末に買ったVAIO(PCV-S610V7)をアップグレードしようと、用事があってBukit Bintangに行ったついでにLow Yat Plazaのパソコンショップに寄ってCD-R/Wドライブ(Sony CRX-175A1)とCPU(Cereron 1.1MB)を買ってインストールしようとした。
    改造方法の載っているホームページ(VAIO Mind,C級サラリーマン日誌)等を参考にしてCD-R/Wドライブは無事換装できたのだが、CPUを変えると全く立ち上がらなくなった。ドーターボードが良くなかったのか、CPUが100Mhz系で合わなかったのか原因はわからないがとにかくCPU換装はあきらめた。でも書き込み速度が従来の4倍から24倍になり(実感速度としては10倍強?)それなりの効果はあったと思う。

2002年3月5日 茂山家の狂言

  • 国際交流基金の主催で茂山家の狂言の公演があった。
    Bangsarのショッピングセンターの中でこんなところに?というような場所(COCAレストランの隣)に 「The Actors Studio」がありそこで公演があったのだが、180人収容くらいの小さな劇場でしかも張り出し舞台でなかなか良いハコだった。
    海外公演ということもあり最初にワークショップがあり、ローカルの人達を10人ばかり舞台に上げて基本の姿勢や歩き方、酒を飲む演技などを実際にやらせてみながら狂言の基本的な動作を説明してくれたので初めての僕にはちょうど良かった。
    演目は「棒縛り」と「濯ぎ川」だったが茂山七五三さんの次郎冠者、千三郎さんの姑役は秀逸だった。 特に千三郎さんの老婆の演技は吉本新喜劇の桑原の和ちゃん(まだおるんかいな?)やカンペイちゃんの老婆を彷彿とさせるつたない足取りが最高に面白かった。 でも良く考えてみると狂言ほうがオリジナルで現代喜劇がその流れを汲んでああいう演技をしているんワケだ。(千三郎さんもワークショップでそう説明されてました)
    そう考えるとすごいものがあります。
    とにかく狂言にはハマりました。伝統芸能(それも娯楽)というのも良いモンだんなー。

2002年3月3日 ひなまつりコンサート

  • かとれあ会(日本人会婦人会)のコーラス部主催の「ひなまつりコンサート」にKLグリークラブで賛助出演した。当日までは色々とおばさまたちとのやりとりで問題があったが、実際にとりしきったSさんは一生懸命でなかなか好感が持てた。おそらくお局さまがたくさんいて意見をまとめようにもどうしようもなくて苦労されているのでしょう。まあそれに巻き込まれるのはごめんなので、適度な距離を持ちながら協力できることは協力するという態度でこれからの臨みたいものだ。
    演奏はというと、決まってから本番まであまり間がなく納得の行くものではなかったが、まあ何とかなったかなというところでしょうか。でも混声での「ハレルヤ」はいつ歌っても良いものです。

2002年2月28日 マレーシア政府のやる気

  • JETRO主催のセミナーに行ってきた。今回はMIDA(マレーシア工業開発庁)が講演をしたのだが、基本的に来ている人(日系企業の人々)をお客さんと捕らえ「もっと投資をしてもらうためには、何を整備すれば良いですか?」と聞こうという態度であった。
    松下グループを代表する人からの「製造工程の中のある部分(特にアセンブリ)をインドネシア等の海外の外注を使うが検査等の最終工程はマレーシアですることを検討しているが、現在それに対応した税制がない」という要望についても「そういうビジネス形態が出てきていることは承知しており、現在対応を検討中である」というような回答であった。
    最先端のビジネス形態をなかなか勉強しているなあという気がした。
    米系の企業とも交流機会を持っているからだろうか?
    残念ながら日本の政府機関の人の話を聞く機会を持ったことがないのでわからないが、 果たしてこのMIDA(マレーシア工業開発庁)の人達ほどの熱心さを持って民間企業や外資系企業の言うことに耳を傾けるだろうか?
    マレーシアは今、人件費では中国ほど安くない、けれど先進国並の技術力・開発力はまだまだないというように中国と日本等先進国の間に挟まれて国家の生き残り戦略がなかなか難しい段階に来ているが、少なくともこのように熱心に意見を取り入れようという態度がある限りまだ可能性はあるように思えた。

    日本はもっと外資が投資しやすい環境を整えるべきではないだろうか? 外資の参入を増やし、産業構造の変革をもっとしやすい状態にしないと「ただ座して死を待つのみ」ということになりかねないのではないだろうか?

2002年2月25日 ガス復活

  • 22日にGas Malaysiaに電話して 週末は来れないからと、結局今日月曜日になって工事の人が来てガスを使えるように開けてくれた。
    やれやれ。

2002年2月21日 駐車違反 & ガスが止まる 

  • 午前中にお客さんを訪問した際、パーキングメータに1時間分のコインを入れておいたのだがお客さんを出るとフロントグラスに何か紙が。マレー語で書いてあって全てを理解できた訳ではないが時間等が記入してあって、どうやらパーキングメータの時間をオーバーしたとして駐車違反を取られたらしい。しかしいったいどこへ罰金を払いに行って良いものやらわからず、ローカルスタッフのLに聞いたところ、駐車違反を取り締まっているのは警察ではないらしい。今回駐車違反をしたのはPetaling Jayaなので管轄のM.P.P.J.というところに行かないといけないということでLと一緒に払いに行った。罰金はRM30ということだったが、Lが交渉してくれてRM20で済んだ。こういうことに交渉ができるというのが不思議だ。

  • 突然ガスが止まったとYANAママから電話。オーナーに確認したが結論としては ガス代を払っていないということがわかった。月曜日に再開してもらうことになったが、 ガス会社がYPJ Gas→CER Gas→Gas Malaysiaとコロコロ変わって何がなんだかワケがわからんし 最初の頃はオーナーが余計に払ってあって請求がマイナスになっていたしで結局払っていなかったのが 遂に止まるということになったらしい。
    でも最近請求が来た覚えがないんだが・・。止めるなら止めるで予告が欲しいところだったが。 しかもGas Malaysiaは他の電気代、電話代のようにインターネットでも払えないしPos(郵便局)でも払えないと来ていて、払っていない駐在員もたくさんいるようだ。今のところチェックを送るしかない。4月からPOsで払えるようになるという噂もある。
    みなさん、Gas Malaysiaはいつか止められるのでその前にちゃんと払いましょう。

2002年2月14日 豪州(パース旅行)

  • 6日間の豪州旅行から帰ってきた。 オーストラリアは動物と接する機会が多くて子供連れにもなかなか楽しめた。 また久々の先進国でやっぱりきれいで良いなーと思ってしまった。 治安も良いし、日本よりは物価が安いし老後を過ごすには マレーシアよりも良いかも。
    マレーシアは物価が安くて良いが、ときどき危ない話もあるし 特に老人になると目に見えないところでストレスがかかる気がする。
    旅行のリポートはこちらへ → パース旅行

2002年2月7日 パーティ

  • ある保険会社が新たにローカルの会社とジョイントベンチャーを立ち上げたとの事でそのパーティがホテルニッコーであった。副大臣や大使も参加してのパーティだったがマレーシアでは珍しくきっちりと時間通りにプログラムが進んで驚いた。

2002年1月27日 留学生の”送別会”

  • マラヤ大学で日本語を学んでその後日本へ国費留学生として留学する学生たちの壮行会 (何故か彼らは”送別会”と呼んでいた)がLegend Hotelで行われたが、その出し物のひとつとして KLグリークラブとして出演した。
    夜の8時半からその壮行会はスタートしたのだが、最初の1時間15分もの間入れ替わり立ち替わり スピーチをする人が出てきて、彼らはその間全く料理を食べられなかったらしい。
    ようやく料理が出てきて15分ほどで我々の出番となってしまった。 こうなると当然だが、「なんか日本人のおっさんたちが出てきて歌っているなあ、でもそれより食べなきゃ」 という雰囲気になってしまう。
    彼らを責めることもできないのだが、やはり一生懸命聞いてくれる人がいないステージというのはどこかしら空しさが残るものだ。今後は出演依頼があった場合もせめて「KLグリークラブの歌をぜひ聴きたい」という 姿勢以外は受けないようにしたほうが良いかもしれない。 ちょうどテキトーな良い出し物があった、などと安易に依頼されるものは受けても空しいだけだ。
    バーなどで演奏しているバンドの人達は偉い、と改めて思った。
    カネのためとはいえ、BGMに徹するというのはつらいことだと思う。
    いつかは自分のコンサート/リサイタルを開きたいという夢を持ちながらやっているんだろうな。

2002年1月26日 診療の仕方の違い

  • まゆが熱を出してJapan Medicareに行ったところ、 喉がゼーゼー言っているのでネブライザを1日4回×3日間しろということ。 メンドーだが仕方がない。 しかし日本の医者なら少し薬をくれて終わりのところだが、違うもんだ。 何かえらい大そうやなあと思いつつもとりあえず従ってみることにした。

    27日の日曜日も3回通って月曜日に診察してもらうと、もう具合は良いようだ。
    そこまで大げさにしなくても良かったんじゃないか、という思いも残しつつ ここにはここのやり方があるんだろうから、きっとこれが最善だったのだろうと自分たちに言い聞かせた。

2002年1月25日 Annual Dinner

  • 今年度は色々あって10月末にやるはずのAnnual Dinnerが結局年が明けてからになった。前回はCrystal Crown Hotelだったが今回はSunway Lagoon Resort Hotelだ。 ただいつも思うがこのホテルの食事はあまりおいしくない。前回別の催しで使ってそのときは ローカルフードのバイキングでイマイチだったが、今回の中華のコースももうひとつだった。 ホテルのランク的にはFive Starで格上のはずなんだが・・。

    今年は残念ながらLucky Drawではロクなもんが当たらなかった。 去年はTVを当ててローカルの恨みを買ったもんだったが・・。

2002年1月21日 ブロードバンドのトラブル解決

  • 12月に入ったブロードバンドだが1週間くらい前からつながらなくなった。 結局たまたまIPアドレスが変わって、それからまたつながるようにはなったが、あまり安定しておらず、 つながらなくなったときのことを考えるとダイヤルアップの契約は残さざるを得ない。

2002年1月14日 携帯の機種を変更

  • 携帯をNOKIA6150からNOKIA7110に変えた。
    先日辞めたマネジャーが使っていたもので会社の携帯だ。 今まで使っていたNOKIA6150も会社所有のものだった。 GSMの携帯はSIMカードと呼ばれるICカードを入れ替えるだけなので カンタンに他の携帯に変更できて便利。 電話帳等そのまんま使える。
    NOKIA6150はIrDAがあるから決めたのだが、携帯同士の通信にしか使えなかった。 本当はPDA(Palm)と通信させたかったのだができなくて意味がなかった。
    NOKIA7110はちゃんとIrDAを使ってPalmと通信できる。 これでTDKのケーブル「
    GlobalPulse」を持って歩かなくても モバイルでのe-mailができる環境となったワケだ。

2002年1月3日 2002年初出勤

  • 今年は2日だけは休みを取ったが3日から出勤した。 考えてみると正月3が日に出勤するのは初めてだ。 しかしこちらにいるとそんなことは関係なくごく普通のWeek Dayの雰囲気だ。 家でNHKを見ると、その中だけがまだ正月気分なのでとても違和感がある。

2002年1月1日 シンガポール・ドライブ旅行

  • 年末からシンガポールへクルマで行って来た。
    クルマで行くのは初めてだったが、飛行機で出張に行くのとはまた違う面がわかり色々と感じるものがあった。
    →詳しくは「シンガポール・ドライブ旅行」へ


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