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異国の地にて思うこと

 

2000年7月にマレーシアに赴任して早や3年が過ぎました。
遠く日本を離れて、異国の地で経験したこと、感じたこと、考えたことを ここに綴っていきます。

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2003年分

2003年分

2003年12月21日 歌詞だけを見て歌うつらさ

  • 子供のクリスマス集会に行った。そこで賛美歌をいくつか歌ったが全て歌詞をスライドで出すと言う方式だった。実は始まる前に賛美歌を貸してもらうよう受付で頼んだが、「今日はスライドで歌詞が出ますから」とのことで貸してもらえなかった。
    楽譜ナシで歌詞だけで歌うと言うのは非常に難しいのだ。もちろん知っている歌は歌えるが知らない歌は伴奏を聴きながら0.5秒くらい遅れて歌う感じ。いや知っている曲でも細かな付点音符何かは覚えていなくて正確には歌えないし、テノールパートを歌おうと思っても覚えていない。結果として歌いたいのにうまく歌えずフラストレーションがたまるのだった。
    今日行ったのは日本人の多い日本語の教会だったが、マレーシアの地元教会に行くと本になった賛美歌さえなく、かならずスライドで歌詞のみでフラストレーションがたまる。どうしてあれで平気なのか不思議でならない。
    今日はKLジュニアコーラスも一緒でその指導をされてすごく歌える人たちが居たのにそれを生かせなかったのももったいなかった。

2003年12月18日 欠陥の多い新築と手入れの行き届いた中古

  • NNAのWebsiteで香港の住宅が欠陥が多く修理業者が潤っているという記事を見たが、「どこも同じだな」と感じた。もちろんマレーシアも同じ状況でどんなに高いコンドミニアムに住んでも、日系のゼネコンが建てた物件であろうとこのことからは逃れられない。日本以外はどこも同じだという気もする。
    米国では手入れの行き届いた中古住宅が人気と聞くが、それも新築は欠陥が多いということの裏返しかも。でも逆に言うとまめに手入れすることで資産価値を上げることができるわけで、新築命の日本の不動産業界はこうはならないんだろうなあ・・。良い建物を後世に残すには行き届いた中古住宅が価値を認められる時代にならないと無理だろうね。

2003年12月16日 吉野家オープンしたけれど・・

  • 牛丼の吉野家Mid Valley Megamallにオープンした。が値段が並RM7.9、大盛RM9.9、味噌汁RM2、お茶RM1.5で結局普通に食べるだけでRM13-15くらいしてしまう。そこそこレベルの日本料理屋であればRM15-RM20くらいでセットランチが食べられるここマレーシアで(もちろんホテルの日本食はもっと高いですが!)、この価格では勝負でけんでしょう。
    日本人相手だけではやっていけないでしょうし、ローカル客を取り込むには価格を下げない限り1年持たないと見ました。しかしちゃんとマーケットリサーチして出したのかねー・・。

2003年12月13日 Riverdance

  • Riverdanceを見てきた。
    Riverdanceというのはアイルランドの踊りのショーで、今世界中を公演して回っている。日本でも11月に東京国際フォーラムでやっていた。
    ダンスはタップのように床を叩くもので何十人もが一緒にやったりして、シンクロナイズドスイミングみたいですごいし、アイルランドのケルト・ミュージックをベースにした伴奏(ヴァイオリンが特徴的)、そしてそれにからむコーラスやバリトン・ソロがまた素晴らしかった。
    コーラスはグレゴリオ聖歌を思わすような真っ直ぐな素直な歌い方が印象的だった。
    まさに世界一流のエンターテイメントで、感激した。思わずCD、DVDを買って帰った。

2003年12月6日 Disney On Ice 2003

  • SARSで延期になっていたDisney On Iceに行ってきた。今回は美女と野獣だったが、結構ちゃんと映画のストーリーを再現していて大人も子供も楽しめるエンターテイメントになっていた。休憩前に紙吹雪が降って来るのだが、これがちゃんとミッキーマウスの形をしていて芸の細かさに「さすが」という感じだった。しっかり高い高い食べ物やお土産にもキャラクターがあしらってあって商売上手という感じだった。
    残念だったのは、去年はアリーナ席でなくミッキーマウスその他の人形と握手できなかったので今年は奮発してアリーナ席にしたにもかかわらず、握手はなしだったこと。もう高いアリーナ席はいらない。
    パンフレット売りの名物おじさんが今年もまた居た。いつまでも元気で活躍してもらいたいものだ。
    来年も来るので、またきっと行ってしまうんだろうなー。

2003年12月5日 捻挫の件でSJMCへ

  • 足首の捻挫の痛みが少しやわらいできたが、今度は足の横の部分の出っ張ったところがすごく痛い。
    (ひょっとしてヒビどか入っている?)不安だったのでスバンジャヤメディカルセンター(SJMC)へ行って診てもらった。
    通訳をお願いして1時間半待って、しびれを切らして聞いたら「まだ通訳が空かない」とのことで、「じゃあ無しで良いです」と診察室に入った。
    先生はチャイニーズでとてもわかりやすく「足首の捻挫の際に腱が引っ張られて反対側も少し傷ついているようです。足首側は全治3週間、足の出っ張った方は全治6週間かかります。」と説明してくれた。
    折れてないこともわかったし、原因がわかってホッとした。

2003年11月30日 捻挫

  • 右足を捻挫した。
    9月にできたショッピングセンターTimes Squareに初めて行ったのだが、
    地下に駐車してLGに上がってきて吹き抜けの上を眺めながら「こういうところかー」と歩いていると突然床に転がってしまっていた。
    吹き抜けの下が少し下がっていて、2段の階段になっていたのに気づかずに歩いていたのだ。
    痛みでしばらく起き上がることが出来ず、何とか上半身を起こし階段まではいずって戻りそこに腰掛けた。
    悪いことに妻に「スニーカー履きなさい」と言われたにもかかわらず横着に草履で出かけていた。
    これがまたこけた瞬間に足首を護るものがなく捻挫をひどくしたようだ。まともに歩くことができないのでTimes Square内を見ることなく妻に運転してもらい、途中医者に寄って帰った。
    幸い骨には異常がないようだが、この調子だと2-3日歩けないかもしれない・・。

    アメリカ人的な感覚だと安全性を配慮しない作りをしているショッピングセンターに訴訟を起こすところだろうが、 日本人である僕は自分のミスもあるという自覚がありそういう真似はできない。 慣れた場所ならともかく、初めて行くところで(しかも日本のように安全に配慮した作りとは限らないマレーシアで)うっかり近所に出かけるのと変わらない感覚で草履で出かけてしまったことが起こりうるリスクに対して甘すぎた。
    反省。

2003年11月29日 モーリシャス旅行

  • ハリラヤの休みを利用してモーリシャスに出かけてきた。
    当初南アフリカに行くつもりで地元旅行会社にツアーを申し込んでいたが参加者が僕たち4人しか集まらずツアーは中止。
    慌てて代案を探した結果前から気になっていたモーリシャスに何とかすべりこんだ。
    地理的にはアフリカ沖のインド洋に位置するモーリシャス、行ってみるとやはりヨーロッパ文化の強い影響を感じずにはいられなかった。
    行き慣れているアジアのリゾートとはどこか違う。やはり大半のお客がヨーロッパ人のせいだろうか。
    詳しくはこちらをどうぞ → モーリシャス旅行

2003年11月13日 代理店の日本への招待旅行

  • 代理店を招待しての日本旅行で3日半、フル・アテンドしてきた。
    ツアコン同様の状態だと、朝から晩までぎっしりではぐれたりしないかずっと気を張りっぱなし。
    でも合間合間に昔からの友人、知り合いに会えて楽しかった。
    参加してくれた人も楽しんでくれたようだったし、日本食の素晴らしさもわかってくれたようだったし、 (ex.刺身あまり好きじゃない、って言っていた人も「おいしい、おいしい」と食べた)
    少しは日本人駐在員として、日本をプロモーションする役割を果たせたように思う。

2003年11月4日 また調子悪いインターネット

  • 今月に入って色々調整してくれたおかげで調子が良くなった無線インターネットだが、ここ1週間ほどまたダメだ。というわけでまたテクニシャンに来てもらって見てもらった。
    結論としては電波の受信が十分強くないとのこと。結局違う送信アンテナに向けて受信アンテナの角度を調整して直った。思った以上にセンシティブで困るがADSLのサービス区域外の我が家としては仕方がない・・。

2003年10月30日 ホント共感する宮脇檀さんの本

  • 水疱瘡で医者に出社を止められ、かといってそれほどしんどくもなく退屈している時間をたまっている本をかたづける(?)のに使った。建築家宮脇檀さんの「それでも建てたい家」を読み始めたがホント面白い。読めば読むほどなぜ僕が家を買いたくないかがはっきりしてきて、そうそうという感じ。結局高い買い物なのに妥協するのが嫌なのだ。買うなら納得いくものにしたいし、今の日本の状況および懐具合から無理なことも分かっているから。

2003年10月29日 みずぼうそう

  • 水疱瘡(みずぼうそう)にかかってしまった。
    どこでもらったか覚えはない。医者に行くと1週間出勤禁止とのこと。
    大して重くもないのに家に居なければならないのはつらいし、仕事もあるので困る。
    こんなことならば予防注射を打っておけば良かったと後悔してもあとの祭りだ。
    でも水疱瘡にかかったことのない大人の方は予防注射打っといたほうが良いですよ。

2003年10月28日 あっけなかった日本シリーズ

  • 出張や旅行に行っていたせいか日本シリーズもワールドシリーズも途中までしか知らず、戻ってみると日本シリーズは本拠地シリーズとなってダイエーが勝っていた。見ていなかったせいであっけなかった。
    しかし読売のタイガース化と思いきや、さすが本家本元シリーズ前に辞任騒動で結局それが尾を引いて勝てなかった感じだな。常勝軍団になることは決してない(?)タイガースらしさがいよいよ出てきた。しかしこれでニッポン・プロ野球もいよいよ魅力がなくなったのでは?
    今一番良いチームはダイエーだけど本社ガタガタだし、はよ独立して興行だけで成り立つようにせんとねー。

2003年10月27日 Baliに行ってきた

  • Deepavaliの休みを利用してBaliに行ってきた。
    ビーチリゾートならマレーシアでも楽しめるということで、あえて海沿いではないUbud地区のホテルPita Mahaに泊まったのだがこれが大正解。
    Villaでゆったり過ごしUbudの街で美術館や踊りを見て過ごす優雅な休みとなった。

2003年10月23日 ジャカルタで下痢に

  • 3日間ジャカルタに出張に行った。
    まず入国の際に、ついBusinessにTickしてしまうと「Business目的だとVisaが必要だ!」と入国管理官に言われてモメた。Under Table money目的っぽくもあったがシラを切って切り抜けた。考えてみるとこれがケチのつきはじめだったか?
    その後は順調に予定をこなし帰る日の未明、急にお腹が調子悪くなってきた。トイレに駆け込むと完全に水状態。結局チェックアウトするまでに4-5回はトイレにこもり、何とか我慢しつつ空港へ。
    飛行機内でも一度トイレにこもりながら何とかKLへ戻ってきた。
    特別変なものを食べた覚えもないのだが、少々疲れていたのだろうか?

2003年10月19日 あっと言う間に終わった定期演奏会

  • KLグリークラブの定期演奏会が終了した。最後の1週間は追い込みで練習して何とか形になりそうだとは思っていたが、始まってみるとあっという間で、失敗したままずるずると行ってしまった面もあったりして必ずしも満足の行く出来ではなかったがとにもかくにも終わった。
    一時期減った人数もなんとか20人を超えたのだが、だんだんおじいちゃんが増えてきて核になる人が少なくてちょっと不安だったが何とかなった。ただやはり今回は日本人会館で内輪でという感じで正解だろう。昨年のように外部でローカルのお客さんも集めて、というのはしんどかった気がする。
    ただ一方でKL日本人会少年少女合唱団が賛助出演に加わったことで、会場はもう満杯以上で来年も同じ日本人会というのも難しい。どういうところで演奏会を開くのか今後考えて行かないといけないだろう。

2003年10月12日 KL市内鉄道三昧

  • 子供たちを連れてモノレールに乗りに行った。KL Sentralの駅に駐車してまずKTMへ。2駅乗る。車両が大きくゆったりしているがにおいが少々きつい。それからLRTに乗り換え。これがけっこう歩かされる。5分くらいはかかったか。LRTはより近代的な感じ。そしてKLモノレールの始発(というべきか終点?)Titiwangsaへ。ここはLRTからは目の前だがやはり一度降りてまた上まで上がるという連絡の悪い構造。こういうところがマレーシア。
    モノレールでは一番前の席に乗り込み子供たちとずっと前を見ていた。窓が大きいためよく見える。けっこう加速があって面白い。KLの街を高い場所から眺めて約20分で終着KL Sentralへ。なかなか楽しかった。こうしてみると意外とKLも鉄道が整備されてきつつある。

2003年10月11日 何事も性善説の日本

  • マレーシアに来て3年も過ぎると、何事もうまくいかなくて当たり前、うまくいけばラッキーという感じになってくる。これは人に対してもそうだし、モノに対してもそう。家の中の水道、電気、エアコン、電化製品、クルマなどなどもしょちゅう何かしらトラブルがあるので、何もないとラッキーという感じだ。 しかし日本ではうまくいって当たり前、うまくいかないとちょっとしたことでも大問題だ。これはモノに対しても「良くて当たり前」という言わば性善説を自然と取っているのではないだろうか。性善説で他人を信じることは幸せなことだし平和で良いのだが、今のようにボーダーレスになって悪いものも含めて色々と入ってきてしまう時代だと性悪説の立場を取って、「何事もうまくいかないかもしれない、うまくいったら感謝、感謝」とした方が時代に合った態度であるような気がする。

2003年10月7日 3度目のスキニング被害

  • 先日JCBから電話があって、最近マレーシアでスキニング被害が多いので、マレーシアでカードを使った人のカードは全て止めて新しいカードを送ると言う。「スキニングなんて日常茶飯事、まあ払い戻しさえしてくれればいいや」と思っていたが、昨日インターネットで使用履歴を調べてみたら、しっかり9月に香港でDOLCE & GABBANAを買ったことになっていた。香港にも行っていないしDOLCE & GABBANAも買っていないので問い合わせたら電話がかかってきて払い戻ししてくれるとのこと。
    3年前、2年前に引き続きマレーシアで3度目のスキニング被害となった。もうこうなると防ぎようはないので、使ったときに控えを置いておいて照合していくしか自己防衛方法はない。
    でも以前は必ず貴金属店で大金を使用されていて一目でわかったが、今回はブランド品店でしかも金額が5万円弱であり、うっかりすると見逃すような使い方だった。カード犯罪も見つかりにくいよう巧妙化しているようだ。

2003年10月6日 何故か今日はつながるインターネット

  • 超調子の悪かった無線インターネットだが、何故か今日帰宅してみると接続できている。
    たまたまだろうか?
    それとも今日は月曜日なので彼らが出社して設定をチェックして直してくれた(特定アドレスへの接続許可を設定した等)のだろうか。
    僕としては後者であることを祈る。

2003年10月4日 調子悪い、インターネット

  • 7月中旬くらいから無線インターネットがとても調子悪い。つながったりつながらなかったりという状態だったが、ここへ来ていよいよつながらなくなってきてメールもままならなくて困っている。というわけで遂に業者を呼んで見てもらった。曰く電波状態がよくないので、外付けアンテナをつける必要があるとのこと。というわけで無線LANの受信機に大きなアンテナをつけて帰っていった。
    直後はとても調子よくブロードバンド・スピードテストでは400kbpsが出るなどマレーシアとしてはなかなかの環境であった。ところが2時間もしないうちに突然切れてしまい、その後どうやってもうんともすんとも言わない。
    はあー、全く嫌になる・・。

2003年9月26日 読売球団のタイガース化か?

  • 読売の原監督が辞任した。たった2年で、しかも昨年は日本一になったというのにだ。フロントがゴタゴタしているのを見ると野村監督以前の阪神タイガースを見ているかのようだ。
    きっとこのまま読売がタイガース化して泥沼に落ちていくのだろう。マゾヒスト体質の人以外は今のうちに読売を見切ったほうが良いですよ。まあ大概読売ファンは官軍体質だからこれからは常勝(?)タイガースに鞍替えしなはれ!

    それにしても我がブルーウェーブ・・。中村勝弘GMに伊原監督体制か、前よりは人選はええけどやっぱり思い入れはしにくいな。

2003年9月13日 blog

  • Websiteの改造を考慮中。「異国の地にて思うこと」をblogを利用してアップできるようにしたいと考えています。 myprofilebloggerをテスト中。

2003年9月13日 JACTIM主催、NSOコンサート

  • 国立交響楽団(NSO)のファミリーコンサートに国立劇場(Istana Budaya)に行ってきた。 結構お客が多くて仕方なく一番前の方に座った。 今回は指揮がかとれあコーラスの指揮もやっておられる太田さん、 他にもフルートの中川さん(毎年日本人会チャリティコンサートで一緒)、 ヴァイオリンの狩野さん(まゆのヴァイオリンの先生)、 チェロのナスランさん(YANAママのチェロの先生)などお馴染みの面々で 気持ちとしては内輪のコンサートだった。 前の方に座ったために狩野さんやナスランさんは僕たちに気がついてくれて手を振ってくれたりした。 前半のステージはまゆもまみもちゃんと演奏も聴いていた。さすがに後半は夜も遅く眠ってしまったが。 久々にオーケストラの演奏を聴いたが、アンサンブルの難しさ、各パートの役割など今までと違った視点で オーケストラを見られるようになって面白かった。 3年間のKLグリーの練習の中で、アンサンブルを作るうえでの共通の音楽的ポイントを学習したことが 結果的にはオーケストラを見るうえでの面白さを培ってくれた。また新たな楽しみができた。

2003年9月12日 税関に目をつけられた!?

  • 6月ころ、郵便局(POS)から手紙が来た。マレー語なので何のことかわからなかったが、それでも推測して読み進めて行くうちにどうも日本から送った荷物が税関で止められているらしいということがわかった。
    会社で税関に詳しいロジスティクス関係のマネージャーに相談して、日通に税関まで引き取りにいってもらって税金も代わりに払ってきてもらった。

    同じことが8月にも発生した。これは通販で米国から買ったシャツだったがマレーシア側はやはりPOSだった。同じようにして解決した。

    そして8月に一時帰国した家族が送った荷物が全然着かないことが発生した。きっと同じことらどうと思っていたが案の定POSから手紙が来て同じケースだった。ここ最近になって荷物が来る度に止められる。今回も日通に頼んでRM110払って引き取ってもらった。

    会社のロジスティクス・マネジャーによると、KLIAの郵便局内に税関があるらしい。きっと僕の名前がリストに載っていて、「こいつ宛の荷物だとカネが取れる」と味をしめてしまっているのだろう。
    日本の郵便局からのSAL便というのが一番送料が安く便利なのだが、今回などは結局1ヶ月かかってしまった。また引き取りにも余分にRM110-130程度支払わなくてはならない。

    これを避けるためにはKLIAのPOS/税関を通らない別の方法で荷物を送ることを考えなければならない。

    アイデアとしては
    1.日通ヤマトなどの国際宅配便 − 郵便局よりかなり送料が高いのが難点
    2.郵便局の小包(船便) − 日数がかなりかかることが考えられる
    あたりか。

    今後試してみることにする。

2003年9月11日 KLモノレール初試乗

  • JACTIMの会合でリージェントに行くのにKLセントラルに駐車してKL Sentral - Bukit Bintang間でモノレールを利用した。 兎にも角にも営業運転が出来ているということに感動を覚えた。
    運転台を見ると米Allen-Braddey社製のパネル等が見え、 結局豪州のコンサルタントが車両の制御のほうはやったということがわかった。 とはいえ車両はマレーシア国産、きちんとレールの上を走るというだけで感動モンだ。

    自動改札もきちんと働いていた。LRTなんかと比べると切符の認識がなかなか安定しているように思えた。贔屓目かな?
    Touch and Goには対応していなかったが、後で改造するのだろう。
    モノレール車内からはPuduの刑務所が上から眺められたり、クルマとは異なる視点でのKLもまた違った印象だ。
    乗り心地は多少揺れが大きかったりするが、モノレールはあんなもんなのだろう。
    日立製の東京モノレールはもっと安定してたっけ??忘れた。

    所要時間は約15分くらいだったでしょうか。 空いている時はクルマの方が断然早い、けれど駐車場探しに手間取ったり渋滞していたりすると案外モノレールも早いかも。
    特に来月の大型のショッピングセンターTimes Squareがオープンすると、Imbi、Bukit Bintang周辺はきっと週末大渋滞だろうから、モノレール利用が良いかも。
    何にせよ、子供たちを一度連れて乗りに来たい。

  • 今日は中秋の名月。ウチのスタッフはみんな早く帰った。家でMoon Cake(月餅)を食べて祝うらしい。

2003年9月10日 山田監督解任

  • 中日の山田久志監督が事実上の解任になったそうだ。
    現在5位とはいえまだ貯金があるわけで決して目も当てられない成績というワケではない。
    全く残念である。

    95年、オリックス球団となって初めてパリーグ優勝した際投手コーチとして貢献したのが山田さんである。そしてその時手塩にかけて育ててストッパーとして大活躍したのが平井正史であった。
    96年、日本一を果たした仰木元監督は自分の保身のため次期監督最有力の山田さんのクビを切り契約を延長した。しかしその後ナインの求心力を失い優勝することはなかった。

    その後投手陣の建て直しを図る星野中日元監督より三顧の礼で中日の投手コーチとして迎えられる。星野が監督を辞任したときに白羽の矢が立ち、出身球団である阪急(現オリックス)ではなく中日で監督となる。オリックス球団を見返したという気持ちもあっただろうし、一方で違う球団しか評価してくれなかったという複雑な気持ちもきっとあっただろう。

    そして更に状況を複雑にしたのが辞任した星野が何を思ったか同一リーグの阪神の監督に就任してしまった。
    これはもうある種の裏切りに他ならない。
    せめて星野が中日のフロント入りして後ろ盾になってくれていれば山田さんも思う存分采配できただろうに。しかし元々コネのない球団ではやりにくいものがあったに違いない。
    実際昨年末の福留首位打者獲得の際の打率を下げさせないために守備のみさせて打席に立たせないなど采配に首をかしげる面があった。今思うといろんな方面に気を使いすぎていたのだろうかとも思う。

    石毛によって滅茶苦茶になった球団の建て直しにぜひ山田さんに腕を振るってほしいところだ。
    今のオリックス球団の状況だとそれさえも難しいか??

    不思議な運命を感じざるを得ないのが、解任となった今日、平井正史がプロ初完投・初完封をやってのけたこと。
    平井としてはプロで自分を見出してくれて、そしてその後クサっていたところを中日に拾ってくれて仕事の場を与えてくれた大恩人山田さんに捧げる完封だったのだろう。
    そしてそれがまた2桁勝利も目前となりこれで平井自身も先発投手としても認めてもらえる。
    師弟の最後の意地、だろうか。

    阪神優勝一色のプロ野球で垣間見た一つのドラマだった。

2003年9月9日 シンガポールMRT

  • シンガポールに日帰りで出張してきたのだが
    時間的に多少余裕があったのでチャンギ空港からタクシーを使わずに地下鉄(MRT)で市内に出てみた。
    チャンギ空港から2駅目の駅に着くと多くの乗客が降りた。しかしそのまま乗り続けていると、突然電車は反対方向に進みだした。何とこの駅までの折り返し運転だったらしい。
    仕方なく次の駅で降りてまた引き返してきて、それから別の線(East-West Line)に乗りなおした。初めての場所は色々と難しい・・。

    でもMRTから見るシンガポールは何かとても日本に近いものを感じた。より生活に密着しているからだろうか。電車を使って人々が通勤、通学、買い物や出かけているのは同じである。
    より都会的、都市生活という感じだ。

2003年9月7日 スキューバのレッスン

  • 会社の同僚(もちろんローカル)の誘いでスキューバを一緒に始めた。ワンウタマにあるショップで昨日日本人のインストラクターにレクチャーを受け無事パス。そして今日が初めてのプールレッスン。予想以上の重たいタンクをかついでプールに入り、おそるおそる呼吸をする。最初息苦しく感じるがだんだん慣れてくる。色々と技術を習って最後のほうで潜ってプールをフィンで泳いで一周すると気分は爽快。
    新しいことを覚えるのは楽しいものだ。若いころスキーのレッスンを受けたことを思い出す。あと4回プールレッスンを受けた後、ティオマンで実地訓練がありそれにパスするとPADIオープンウォーターダイバーのライセンスがもらえるとのこと。

2003年9月2日 LYCOSが無くなった

  • 今までホームページに使用していたLYCOSの無料ホームページ「Tripod」が無くなった。Infoseekが買収したためらしい。このため勝手に新しいInfoseekのアドレスに転送されてしまう。年末にはこの転送機能もなくなってしまうとのこと。このまま新しいInfoseekのアドレスを使うか他のホームページ・サービスに乗り換えるか思案のしどころであるがまだ結論が出ない。もう少し色々検討します。

2003年9月1日 ランカウイ社員旅行

  • 金曜日の夜から社員旅行でランカウイへ行ってきた。これがバスで往復するという強行軍。独立記念日がらみの連休で飛行機の予約ができなかったことが主因だが、マレーシアのバスはきつい。特に後輪上は直に道の凸凹が直撃してたまりません。後のサスペンションは板バネでトラックと同じ、というかシャーシはトラックなんだろうね。真ん中近くに席を移動してようやくマシにはなった。
    ランカウイ・コーラル(Paya島)というダイビング、シュノーケリングができるところにも行ったが、とてもコマーシャライズされて海の神秘さが足らない感じ。まあ日本から来れば魚がたくさんいることだけで感動モンなんだろうけど、ちょっと贅沢になっているかな。
    2年前に来たときにはなかったゴンドラ(マレーシアではケーブルカーと呼ぶ)にも乗った。山の上から熱帯の海を眺められてこれはなかなか良い景色が楽しめる。家族で来たら行ってみたい場所だ。
    帰りにフェリー乗り場で停電に。ランカウイだけかと思っていたらこれが大停電だった。幸いにもフェリーは出航し、マレー半島側の港クアラ・ケダもそれほど混乱がなく影響が少ないままにクアラルンプールに戻っては来れた。とはいえ着いたのは夜9時半。朝8時半にホテルを出ているので計13時間かかっての帰宅であった。ふーっ。

2003年8月28日 久々のカラオケボックス

  • グリーの練習後有志でカラオケへ。60、70年代の曲を中心に歌った。やはり美声の持ち主が多い。たまにはこういうのも良いもんだ。

2003年8月26日 スピード

  • 昼間用事がありモントキアラ方面へクルマを走らせた。
    いつも夜帰宅するときと同じ調子で走らせると警察の姿が。
    そして「いらっしゃーい」という手振り。やられた、スピード違反だ。
    警官と話をしているうちに結局RM100で手を打った。ローカルならきっとRM50で済むところなんだろうな・・。

2003年8月23日 SONY CLIE

  • Yahoo!オークションで落札したCLIE PEG-TG50を先週帰馬した家族が持って帰って来てくれた。ようやく週末になりいじる時間が出てきた。この機種はキーボード付きの為Graffiをあまりつかわないことに最初違和感がある。メモリースティックがありメモリを拡張できることは今まで使っていたPalmVと比べると格段の進歩。もちろんカラー液晶も見やすい。ただこのTG50を本当に生かそうとするとやはりBrueToothがポイント。そのためにはBrueTooth付き携帯電話に変えないと・・。今マレーシアで販売しているBrueTooth付き携帯電話は:
    1. NOKIA 6600、8910i、8910、3650、6310i、6310
    2. Siemens S55、U10
    3. Sony Erricson T68i、T610

    といったところ。どれもかなり高い・・・。

2003年8月17日 初めてのインド、チェンナイ

  • 遂に、生まれて初めてインドに地を踏んだ。詳しいことは「インド・チェンナイ紀行」へ。
  • 一時帰国中だった家族がマレーシアに戻ってきた。これでまた元の生活に戻る。

2003年8月10日 来なかったレアル・マドリッド

  • レアル・マドリッドのアジア遠征に当初マレーシアが入っているという情報だったが結局タイに行ってしまった。ウチのスタッフなどの話によると先月末にプレミアリーグ3チームが来ての試合があったばかりのため、続けての開催ではどちらかの興行に影響がでるということだったようだ。

2003年8月6日 シンガポール出張

  • タイ出張の帰りMH(マレーシア航空)が一時間遅れた。KLIAでのシステムトラブルとのこと。今までも何度もMHは遅れて待つのが嫌になる。バンコクからの場合はNo Choiceだが、シンガポール程度だとそういうことが起きた場合クルマの方が早く帰られる。ということで、今回はクルマでシンガポールに出張した。行きは5時間強、帰りに至っては4時間半を切る所要時間で飛行機とほとんど差がないレベルだった。行きに余計にかかるのはおそらくJBで道が込むからだろう。高速を最後まで乗るのでなくSenaiあたりから出てバイパスを通ったほうが早そうに感じたので次回試してみたい。

2003年8月2日 カンチャナプリ「戦場にかける橋」

  • 出張でバンコクへ行って、土曜日にウェンディツアーのカンチャナブリ・ツアーに参加した。
    最初にナコンパトムに寄り、タイ最大の仏塔を見た後、カンチャナブリにつき博物館を見た。
    西洋人の視点から見た、鉄道建設の展示で「Jap」などとかなり感情的な表現も見られた。
    いずれにせよ多くの人が亡くなったことは不幸なことであるが、その難工事をやりとげたことによって戦後この地域の発展に役立ったのも確かではある。戦争にからむことは100%悪とも100%善とも言い切れない。
    ボートでそこから10分ほど行ったところに、その難工事によって完成した橋はあった。いわゆる「戦場に架ける橋」である。列車の本数が少ないため、合間に観光客は皆歩いて渡っている。僕もまねをして渡ってみた。まだ未開だったこの地に橋をかけ、遠くビルマまで接続したというのはすごい事業だ。そして大英帝国に支配されていたインドを開放するためにこの難工事をやったという壮大なスケールには驚く。ある意味無謀であり、その延長線上にインパール作戦の大失敗があったのだろうが、しかし大義名分を掲げ、本気でやろうとしたことには敬服する。そんなことを考えながら橋を戻ってきた。
    30分ほど駅で待っていると列車が来た。これでさらに奥地(ミャンマー方面)へと向かう。車内にはバンコクあたりから来たであろうお姉ちゃん方や色々な観光客で一杯だ。1時間ほどして川と崖に挟まれたところに無理やり木造橋を立てて作った線路を抜け、駅を降りた。素朴な3等車での旅であった。
    食事後バンコクへ戻り、ツアーを終えると久々のバンコクのダウンタウンをぶらぶらし屋台で麺を食べホテルに戻った。

2003年7月29日 インド大使館でビザ取得

  • インド旅行のためにビザを取りにインド大使館へ行った。外見はなかなか立派だが入ってみると、やはりそこはインド。まずチェックもなく簡単に中に入れてしまう。そしてトイレは決してきれいではない。こういうところは日本大使館とは違う。
    先週木曜日に既にビザ申請は済ませていて、火曜日朝9時半に来いというので来た。てっきりすぐビザをくれるものと思っていると、日本へのテレックスでの本人確認が終わっただけで、今日の夕方来いという。仕方がないので夕方4時半に出直し。
    結局3回通ってようやくビザが取れた。

2003年7月26日 展示会終了

  • 水曜日からやっていた展示会が終わった。
    先月見に行ったNEPCONという展示会がSARSの影響で出展を取りやめた会社も多く、
    非常に低調であったので心配したが、フタをあけてみるとなかなか盛況であった。
    あとはこれを実際のビジネスにどれだけつなげられるかだ。
    ローカルにまかせっきりだとそのへんがちょっと心配なのでチェックを入れるようにしよう。

2003年7月24日 Gypsy Queenコンサート

  • 家族をKLIAに送った帰りに、Sunway Lagoon Hotelで行われた
    「ジプシークイーンコンサート」を見に行く。
    正直見たことも聞いたこともなかったので、ラテン系の曲あるいはジャズをやるバンドかと思ったが、そうでもなかった。英会話が一応できることで、アジアとの交流を図っているということを売りにしているようだったが、もうひとつプロとしてのオリジナリティ、クオリティを感じない、これといって魅力のないバンドであった。
    地元に受ける曲ということで、「Getalang Jiwa」をやったが変に軽い洒落たポップス風のアレンジで歌い上げるのが大好きなローカルの人たちへの受けはイマ3って感じだったし、「Rasa Sayang」を一生懸命ロック風にアレンジしていたが、ローカルの反応は所詮子供の歌って感じで、アンコール最後にもやったのだがもうひとつ盛り上がらずに終わった。
    どうせ子供の歌なら「ドラえもん」の方が受けただろうし、やるなら「Getalang Jiwa」をとことん歌い上げれば良かったのだろうが、所詮一晩しか滞在しない中で事前情報を誰かから仕入れてやっただけなので、無理というものだ。
    本当にアジアとの交流を売りにするのなら、じっくり時間をかけてコミュニケーションを持ち、それからマレーシアの曲のカバーを練り上げて行かないとだめだろう。
    新月会演奏の「Getalang Jiwa」ビデオでも送ってやろうかな?
    「マレーシアのどこが好きですか?」と聞かれて「空港からホテルに来ただけでどこも見ていない、でもマレーシアの人たちの目が好き」とか言ってドッチラケていたし。
    賛助出演のExisitsという地元バンドのボーカルの方が良い声をしていて良かったぐらいだ。
    日本の歌手・バンドは総じて歌が下手すぎる。これを容認しているからいつまでたってもレベルが上がってこない。聞くほうの責任でもあるのだな。

2003年7月22日 演劇「セロ弾きのゴーシュ」

  • 国際交流基金主催で行われた劇団こんにゃく座の「セロ弾きのゴーシュ」を家族で見に行った。これで発見したが身体を使った表現、そして音楽というものは普遍性があるというか
    民族・文化・言葉を超えて伝わるものだということがわかった。
    もちろん字幕による助けはあるのだが、面白いしぐさにはローカルの人たちもみな笑う。
    そしてウチの子供たちもしっかり笑って楽しんでいた。
    ナマの舞台の空気感というか、そういうのも良いものだ。
    なかなか良い企画だったと思う。

2003年7月14日 

  • 中国本社に居る役員が来られたのでアテンド。
    なかなか気さくな方であったが英語の発音が良いのにびっくり。
    もともと海外事業部で、米国駐在経験もあるとのこと。なるほど。
    空港へ迎えに行ったり、送りに行ったりとドライバー状態であった。
    こういうときKLIAは遠くで嫌になる。

2003年7月13日 犯罪を誘発する換金性を高くするセカンドハンド流通市場

  • 日本で最近盗品がネットオークションに流れるケースが多いらしい。このようなセカンドハンド流通市場が充実すると犯罪を誘発する可能性が高い。
    マレーシアでは空き巣に入られると家財道具一式きれいに無くなるという。日本のプロの泥棒は現金と貴金属のみであとは手をつけないらしい。この違いは換金性の違いに起因している。マレーシアでは泥棒市場があり家財品も含めちゃんと換金できてしまうが為に盗みが絶えない。クルマのパーツもよく盗まれるらしいがちゃっかり中古部品として売っているらしい。だが新品の部品の値段を大幅に下げると途端にその部品の泥棒は収まったという。換金性が悪化したからだ。ネットオークションの匿名性の高さがこういった換金市場として機能し出しており、これが犯罪を誘発しているのは明らかだ。これはある意味リサイクルという循環型社会が進めば加速される副作用かもしれない。IDタグ等コストはかかってもそれらを防止する策を社会全体がコスト負担を覚悟してでも進めるべきであろう。

2003年7月12日 何かヘンだぞ長崎の事件の報道姿勢

  • 長崎誘拐殺人事件の報道を見ていて思うのだが、なぜ誰も4歳の子供を一人にしていた親の責任を問わないのだろう?マレーシアに居ると子供を一人にしておくといつKid Napに会うか分からないという緊張感があるせいかもしれないが、どう考えても4歳の子供を一人でゲーム場で遊ばせておいて両親で買い物するなどということは考えられない。日本の安全神話にどっぷり甘えていたと言わざるを得ない。確かに殺した中学生は攻められるべきだとは思うが、今の時代、日本でもいつどこでこういうことが起きないとも限らないのだから親として最低限気をつけてあげるべきである。このような視点でも報道が全くされないというのも気持ちが悪い。言論の自由が保障されている国なのに報道規制がされているかのように見えてヘンなところだ。

2003年7月10日 暴行・殺人請負業

  • ここのところ治安が悪化しているとスタッフやディーラーの人などが盛んに言っている。
    600リンギットで片腕を落とします、とか2000リンギットで命を奪います、とかいったビラを配っているという噂もある。
    これらはどうやらVCD取締りで職が無くなった人の一部が始めた新手の商売らしい。こんな簡単に安く、人を傷つけたり殺したりすることができると中には依頼したりする人も出てくるかもしれず、危ない限りだ。

2003年7月9日 手作り工場

  • 初めてHONDAマラッカ工場の生産ライン内を見る。
    コンベアでなく、手押しの台車のボディライン、組み立てラインを見るのは初めて。
    ある意味これでもちゃんとしたクルマができるというのは驚き。

2003年7月2日 まみ入試(?)

  • まみの面接の付き添いにインター校へ行く。
    言わばNurseryへの入園テストだ。
    部屋に案内され、僕はすぐに待合室へ。
    妻もころあいを見計らって部屋を出るが、しばらくして姿が見えないことを見つけて泣き出した。
    「これはちゃんと合格するかな?」と少々不安であったが、後日きちんと案内が来て晴れて入園できることになったようだ。

2003年7月1日 株はやっぱり難しい

  • シートゥーネットワークが英国のハイパーマートTESCOにTOBされると新聞で見て、株を買った。しかし迂闊だったのは成行で買い注文を出してしまったこと。買えたときはTOBの買い付け価格3400円を上回ってしまっていた。
    指値でTOB買い付け価格より低く買う、買えなければあきらめる、というのがやるべきことだったのに・・。もはやこれ以上持っていても仕方がない、昨日売って損失は確定したのであった。
    TOBをやると買い付け価格に向けてポンと上がると言うことはデジタルが昨年シュナイダーに買われた時に学んだのだが生かせなかった。
    株をやる前は新聞等読んで行動すれば、産業界の知識・情報もあるしそれなりに儲けられるのでは?と思ったがそんなに甘くはないですね。僕が気づいて行動する頃にはとっくに皆さん動いておられる。ホントに儲けようとすると仕事そっちのけで株に専念しないと無理な気がしてきた。いやいや難しい・・。

2003年6月27日 Canny Ongの葬式

  • ここ最近話題になっている、誘拐・レイプ・殺人事件の被害者Canny Ongのお葬式がPJのカトリック教会で行われていた。ちょうどFederal highwayの横でクルマで走っているときに見えたがすごい人だった。500人くらい列席があったらしい。このところ物騒な事件が続いているがこの事件がそれらの象徴的なものになっているらしく連日新聞に関連記事が載っている。
    ホントかウソかわからないがVCD取り締まりを厳しくして食えなくなった者が盗み・強盗や殺人請負(単にケガさせるだけから色々メニューがあり料金表が出回っているらしい)を働いているという話もあり、物事白黒だけでは行かない難しさを感じる。
    マレーシアも物騒だし日本も福岡の一家殺人事件等物騒な事件が多い。どこにいても自分の身は自分で守るという心がけが大切だということを改めて思う。

2003年6月25日 Malaysia Japan Pop Music Concert

  • グリーの練習を早退して(すみません)RTM(ラジオ・テレビ・マレーシア)のホールで行われたMalaysia Japan Pop Music Concertを見に行った。小泉首相の思いつき(?)で始まった日本ASEAN交流年2003の一環として国際交流基金主催で行われた行事でNHKでも放映される予定だという。日本からは華原朋美有里知花上田正樹が、マレーシアからはSiti Nurhaliza, By "U", Francissca Peter, Ning Baizuraが出演したのだが、上田正樹とNing Baizuraが良かった。デュエットの「Imagine」ではマレーシアでやっていいの?って感じのメッセージを堂々と2人で伝えていた。
    今やマレーシアきっての大スターSiti Nurhalizaや有里知花らは歌がうまいことはうまいのだが、前述の2人に比べるとまだ人生の深み、渋みというものが表現されていなくて、「まだ若い」という感じだった。技術的には音程、リズムといったものはいいのだが、ppからffまでのダイナミクスが狭い気がした。華原に関しては、「これが日本代表・・、恥ずかしい・・」という感じ。音程さえきちっと取れない人が「歌手」として通ってしまう我が国を恥ずかしく思ってしまう。
    上田正樹とNing Baizuraはアルバムのプロデュースなどで既に交流があったみたいで、今後その辺のことを調べてみようと思う。
    TVというフィルターを通さずにナマで見ると、本当の実力が見えてきて面白いものだ。マレーシアにもなかなか面白い歌手が居ることがわかって収穫であった。

2003年6月25日 今回は本気!?VCD取締り

  • 先月から大々的にVCD取締りキャンペーンをやっている。今まではちょっとキャンペーンをやって、その後ほとぼりが冷めるとまたVCD屋がパサマラ(夜市)に出てくるというパターンでしたが、今回ばかりは本気のようです。1ヶ月以上たってもまだ取締りをやっていますし、マハティール首相も取り締まり延長を明言しています。おかげでパサマラでVCD屋(その他DVDとか、海賊版パソコンソフト、ゲームソフトも含め)見なくなりました。
    ただ日本のドラマVCDはいまだに普通のCD屋で売っているのがご愛嬌。台湾製だと海賊版でなく正式版だとでも思っているようです・・。

2003年6月21日 初めての映画

  • 赴任して3年、初めて映画館に行きました。子供が小さいこともありなかなか行けなかったのですが、今回は長女とディズニーのFinding Nemoを見にMid Valley Mega MallGolden Screen Cinemasに行きました。映画は今人気で前日に前売りを買っていてようやく見られました。というのがこちらは全席指定となっていて人気作品は早くに売り切れてしまうのです。18スクリーンもある巨大シネコンでしたが、なかなか良い設備で楽しめました。コンサートホールと同様エアコンが効きすぎなので上着を用意していったほうが良いです。

2003年6月20日 バングサで飲む

  • Mid ValleyCititelで研修があった後、Mid ValleyChilisでビール(ちなみにここのビールはたぶんKL一うまい!高いけど。)を飲んでいるとローカルの同僚がBangsarに飲みに行こうという。何でもきれいなおねーちゃんがいっぱい来る店があるとか。で3人で行った。8時半頃入店してまだ空いていたが9時半、10時と進むに連れ人が増えて混雑してきた。雰囲気はちょっとペナンのガーニーホテルのバーに似た感じ。きっとKLで若いもんがお洒落して出かけるというとこんな感じなんだろう。結局眺めるだけで何が起こるわけでもなく11時頃になっておじさん3人は帰路についたのでした。

2003年6月12日 まみ3歳誕生日

  • まみが3歳になった。有休を取って朝からまみと出かけてプレゼントやケーキなどを買ってきた。まゆが幼稚園から帰るのを待って久しぶりに遊園地Sunway Lagoonへ行った。平日はさすがにガラガラでわずか1時間半くらいで乗り物の大半に乗ってしまった。まゆもさすがに5歳になったせいかけっこう乗り物も怖がらずに乗ることができるようになっていた。
    帰宅後家族でささやかなバースティパーティを行った。数日前Nurseryでやったバースティパーティではケーキに「MAMI」と入れてもらうのを忘れられてすごくショックでケーキを食べなかったらしいが、さすがに今日はおおハシャギでケーキも食べた。

2003年6月8日 チャリティコンサート

  • 日本人会で行われたチャリティーコンサートにKLグリークラブで出演した。4曲中最後の4曲目がかなり失敗してしまった。でも後でビデオで見ると思っていたよりはましだった。短い練習期間の割にはそこそこまで持っていけた気がする。フルートやピアノ他色々な演奏があったが、フルートの中川さんと、ピアノ連弾の下川さん、貫名さんが特に良かった。ゼニの取れる演奏だったと思う。そんな中に混じってやらせてもらえるのだからすごいことだ・・。

2003年6月4日 Sticky Rice(=中華ちまき)の日

  • 今日は端午の節句だったらしい。夜入った朝州粥の店で、ちまきを食べていたお姉さんが居た。昼間ウチのスタッフが「今日はSticky Riceを食べる日」と言っていたが、要は端午の節句なんだね。チャイニーズのカレンダーではちょうど5月5日だったんだ、なるほど。

2003年6月2日 日本ASEAN交流年オープニングパーティ

  • KLグリークラブ日本大使館がオーガナイズしてマレーシア外務大臣他を呼んだパーティに出演して歌った。小泉首相が去年ASEANを歴訪したときに言い出した「日本ASEAN交流年2003」に今年はなっているのだが、6月がマレーシアの担当月というころでそのキックオフのパーティらしい。今までで一番VIPの前で歌ったのだが誰が偉いさんだかよくわからないまま歌ったのでただのパーティにしか見えなかった。大体宴会場は反響が全くなくて声が返ってこないので歌いにくくてしょうがない。

2003年5月31日 TESCO

  • 1年以上前にマレーシアに進出してきていた英国のハイパーマーケットTESCOへはじめて行った。Puchongの1号店は渋滞がひどいという話もあり、また欧州系の小売業には仏国のCarrefourで失望していて期待していなかったため全然行っていなかった。ただ比較的近いDamansaraに出来たことと、YANAママのアイルランド人の英語の先生からオリジナル商品など英国っぽいものも売っているという情報を仕入れて行ってみる事にしたのだ。結果は、意外と良かったというところでしょうか。バスソープや歯磨きなどのトイレタリーやBitter Lemonジュースなど英国っぽくってなかなでした。毎週とは言わないが月に1度くらいは行きたいところ。

2003年5月26日 世界共通?若いもんや子供の問題。

  • いつの間にかおじさんになってしまった私が日本で嫌だとよく思うのが電車の中とかで平気で化粧をする若い女たちですが、ここマレーシアやシンガポールのチャイニーズも結構平気で人前で化粧をします。似ている風潮があるようですね。
    また前にもチャイニーズ系の学校での色々学級崩壊に似た問題があることを書きましたが、妻の英語の家庭教師(アイルランド人)によると英国でも同じことが社会問題になっているようです。世界的なものなんでしょうか?子供を取り巻く環境や我々親世代の考え方の変化が背景にあるのでしょう。どこに居ても私たち親がしっかりしないときちんと子供を育てられないということでしょうか、身を引き締めないといかんですね・・。

2003年5月24日 ディーラー会議 at Genting

  • ディーラを集めての会議、まあ接待旅行みたなもんをGenting highlandで行った。午前中会議をして午後はカジノ(あるいはゴルフ)で夜パーティというメニューだ。ディーラのおじさんたちはいかにもチャイニーズのおっちゃんというタイプの人たち、こっちで言うChina Man Businessをやっているおっちゃんたちだ。そういう人は共通性があるのかどうか、酒が好きで一緒に飲むと近づく、一緒に仕事しようかという感じ。まあ東北なんかもそういう雰囲気だったな。
    というわけで当然そういう中だと飲んだほうがイイワケでしこたま飲んだら数年ぶりの大二日酔いになってしまった。そういえばどうやってホテルの部屋に戻ったかイマイチはっきりしない。さすがに体にきつい。こういうことは年に1回で十分だな。

2003年5月21日 新車対決

  • 一昨日初めて新しいホンダ・CITYが走っているのを見た。先月ホンダがCITY、トヨタがVIOSを発表しプロトンの独占状態にある1.5Lクラスの乗用車市場の切り崩しにかかりだした。マレーシアの人はプロトンのひどい品質に嫌気が差しており、価格差があまりなくて品質が良い車だとヒットする可能性は大きい。事実昨年韓国の現代自動車プロトンより少し高いめだが品質はそれなりに良い車を、強力な販売チャネルOriental(元ホンダのディーラー)を通してたくさん売った。プロトンが3年前に発売した1.6-1.8Lクラスの主力乗用車WAJACITYVIOSはほぼ同じRM70-80Kという価格帯、排気量が1.5Lではあるが品質の良さでどこまで販売を伸ばすか注目である。

2003年5月18日 Tanjong Jara Resort

  • 東海岸のトレンガヌ州にあるTanjong Jara Resortに行ってきました。時勢柄なるべく飛行機に乗りたくないのでクルマで行きました。7時間くらいかかるかと思っていたのですが、行きは5時間40分、帰りは5時間強と順調でした。のんびり滞在するには素晴らしいリゾートで、同じYTL系列のPankor Laut Resortよりも気に入ってしまいました。

    詳しいことはこちらへどうぞ→「タンジョン・ジャラ

2003年5月11日 カルコサのランチ

  • フト思い立ってCarcosa Seri NegaraのCurry Tiffin Lunchを久々に食べに行くことにした。考えてみると今日は母の日でもある。やっぱりと言うか、相変わらずの高級感とその味に舌鼓を打った。たまにはこういうのも良い。

2003年5月9日 まみトイレ成功!

  • 3歳の誕生日を1ヵ月後に控え、未だトイレで大きい方ができていなかったまみがようやくできるようになった。このままだとインター校のNurseryにも入れてもらえないかと少し心配だったがちゃんと時期が来るとできるようになるものだ。まあまゆのときも同じようなもんだったが。

2003年5月8日 SARSの影響〜ポジティブ・サイド

  • ある電子部品を作っているお客さんに聞いたがマレーシア工場の受注量が増加しているという。一つは顧客がSARSによる工場停止を恐れて在庫の積み増しをしていることが理由。もう一方で中国工場で増産を計画していたのが本社からの出張が難しくなってきたため、増産分をマレーシアに振り向ける話も出てきているらしい。今回のことで多くの会社がリスク分散について考え直しASEANが常にカバーできる体制になるよう今後の戦略を変えてくるに違いない。

2003年5月6日 任期延長決定!?

  • シンガポールに居るアジア・パシフィック地域本社の社長が来た。今後のことについて色々話をした。とりあえず任期延長は決まったものと考えていいようだ。あと帰国後、次の海外赴任を狙える部門に行きたいことも話しておいた。今の赴任経験を考えるとやっぱりこれを生かして自分のキャリアを作って生きたい。残り任期を精一杯やって色々な経験を積んで今後に生かせるよう努力していこう。

2003年5月5日 誕生日

  • ちょうど3廻りの誕生日を迎えた。まあ最近は正月を過ぎると「今年で何歳だな」と意識するので誕生日だから特別意識することもなかったが
  • 聞いた話だがA社の中国の健康機器を製造している工場から、体温計の国外への出荷が中国政府によって止められたそうだ。中国国内で必要だがまだ十分にいきわたっていないため、まず国内需要を優先させろとのことらしい。しかしこの事業は他に海外工場を持たず、それにより体温計は世界に出荷できなくなるのかもしれない。中国1極集中する怖さである。事業をやる上でリスク分散は必ず考えないといけないと改めて教えられた。

2003年5月4日 ペナン旅行

  • Labor Dayに1日休みを付けて4連休にして出かけることにした。SARSのこともあり飛行機に乗らずに住むペナンに行くことにした。ペナンの海は言うまでもなくきれいでも何でもないが宿泊したShangri-La系列のリゾートホテルRasa Sayangはプールも楽しく、なかなか楽しむことが出来た。
    詳細はこちらへ →ペナン旅行

2003年4月30日 UiTM壮行会

  • 予想通りというべきか、予定より3-40分遅れて僕たちの出番は来た。昨日から何ら改善されていないローカルの学生たちの歌に負けじと精一杯声を張り上げて出番は終わった。ここしばらくハーモニーを奏でる、声を合わせるということを意識していたがそういうのも全くなしのプリミティブな歌だった。終わったらすっかり遅くなってしまいおとなしく帰宅した。

2003年4月29日 マレーの出し物

  • 明日予定されているUiTM壮行会のリハーサルにKLグリーで参加した。8時頃1回目のリハーサルをやったが、一緒に歌った学生たちの歌のすごいこと、まず楽譜が読めないらしく歌詞カードのみを見て歌うのだが音程はてんで勝手。そして終わったと思ったらもう一度リハーサルをやるとのことで待たされた。その間、他の学生たちの出し物、踊りや歌などを見ていたのだが、なかなか面白かったのは最初の10分間くらいでだんだん見るのも疲れてきた。やはり素人芸だから見ていられないのか、芸能的にタイなどよりも面白くないのか?ウチの会社のAnnual Dinnerはチャイニーズ中心なのでこういうマレーの芸をずっと見せられることもなく、酒を飲んで騒げるのでいいが、工場などでアルコールなし、延々素人芸大会というAnnual Dinnerもあるらしく、そういうのは耐え難いと思った。

2003年4月28日 ソニーショック

  • 株は怖い。僕が買った株の中で一番大きいソニー株が暴落した。たった2営業日で1000円以上、僕が買ったときからだと2000円近い。他の株は上がったり下がったりだがソニー株だけで大損してしまった。こうなったら持ち続けて上昇するのを待つしかない。でも今の3種の神器と言われるプラズマTV、DVDレコーダー、デジカメのうち強いのはデジカメだけであとはダメという姿のままでは当分上がらないかも。

2003年4月20日 中国のSARS

  • やはりというべきか、北京のSARS患者数が急増した。というより今まで隠蔽していたものが出てきたということ。今やSARSが一番危ないのは中国。あれほど色々なことをコントロールしているシンガポールでさえなかなか思うようにSARSを退治出来ていないのだから、人口が多すぎ国家が広すぎコントロールなど効きそうにない中国がSARSを封じ込めることなどあり得ない。これから数ヶ月、下手をすると数年この状況は続くだろう。当社も含め日本の製造業はこの2-3年で中国への傾斜を強めていたが、リスク分散を考えるとやはりASEANと中国の両方にしておかないとやはり危険だ。

2003年4月19日 久々の野球TV観戦

2003年4月16日 SARSデマ騒動

  • 昨夜からSMS(携帯メール)で「ワン・ウタマのショッピングセンターのG2000(香港ファッションブランド)の売り子がSARSで亡くなった。現在G2000は閉鎖中」という噂が流れたらしい。ウチの会社の4割の人間がそのメールを受信したという。しかし結果はただのデマだということがわかり、今日の新聞にもデマだったこと、政府がこの種の噂に対して行動に出るということになったようだ。しかしその後ワン・ウタマは閑古鳥が鳴く状態となりビジネスとしては大きな痛手を負ったらしい。マレーシアの人、特にチャイニーズは噂好きでどうもスパム・メールをしたがる傾向がある。今回もそのメールを受信してまた多くの知り合いに転送した人も多いようで、事実を確かめてから行動するようにしてほしいものだ。会社では従業員にそのような指示が出た。

2003年4月12日 株価最安値更新

  • 昨日の東京証券取引所の日経平均が株価バブル後最安値をまた更新したらしい。戦争に目処がついて上がるかと思ったのだが、さらに安くなるとは・・。2月に買った株はかなり損している。開戦直後一度株が上がったときに売っていれば損は少なくて済んだのだが、米国の勝利が確定すればもっと上がるだろうと思ったのが失敗。やはり素人には株は難しいのだろうか・・。中でも一番ウエイトの高いソニー株がボロボロなのは悲しい。まあソニーのファンだから買ったので仕方がないといえば仕方がない。

2003年4月11日 とても疲れたペナン出張/SARSの状況

  • 代理店会議で水曜日からペナンに出張。Golden SandsというShangri-La系列のリゾートホテルでの会議だったが会議は朝から晩まで延々とやっていたためプールに入る暇もなかった。今度はプライベートで隣の同じShangri-LaグループのRasa Sayangに来よう。僕以外はウチの会社の人間も代理店も全員ローカル・チャイニーズなのだが、彼らはだらだらと飯を食いながらしゃべるのが大好きで風邪が完治していなかった僕はそれにつきあわされてホント疲れてしまった。クルマでの往復も疲れた原因のひとつか?

  • SARSの状況に関して、大使館はかなり神経質になっている模様。何としてでも日本人の間で流行することがないように、最大の日本人集積地である日本人学校(KL周辺滞在者約8000人中約1000人が集まる)ではSARS流行地から帰ってきた生徒は10日間登校禁止にするとのこと。先生方は戦争のこともあり春休み中の全生徒の動向を把握し、その期間に香港等SARS流行地に渡航した生徒に前述の対応を連絡したらしい。
    また日立・ソニー等何社かの日系企業はシンガポールからマレーシアの工場を訪問することを禁止にしたとのこと。

2003年4月7日 MCをとる

  • 風邪が治らず咳が出るためMC(Medical Leave)を取って休んだ。普段なら休むほどのことは無いのだが翌日大事な会議があって声が出なくなると困るということと、SARSが深刻化してきて咳をしながら出社してスタッフが怖がるといけないので今回は休むことにした。

2003年4月5日 マレーシアで初のSARS死者

  • 香港との行き来の多いマレーシアで患者がいるに違いないことはわかっていたが、遂に公式にSARSで死者が出たことをマレーシア政府も認めたとの発表があった。今後広がりを見せる可能性がある。大使館からは日本人会/商工会議所(JACTIM)経由で毎日SARS情報のFAXを流している。9.11の時に比べて情報伝達は段違いに良くなった。いまだにe-mailでないところが少々疑問ではあるが日本人会のホームページおよび大使館のホームページSARS情報を載せておりかなり改善されてきている。

2003年4月4日 出張者帰国

  • 予定していた業務を順調に消化し出張者が帰国。夜もおつきあいさせていただいたがそれなりに楽しんでもらった様子。やれやれ、一仕事終わった。まあこれでまたマレーシアが良いところだと思ってもらえた人が増えたかな。帰りはKL SENTRALの駅でチェックインしてもらいそのままKLIA EXPRESSに。KL SENTRAL駅が開業したおかげでKLIAまで行かなくてよくなりラクになった。出張者に空港電車を経験してもらうのも良いし。
    僕は疲れのせいか風邪を引いてしまった。

2003年3月30日 出張者をピックアップ

  • 結局1週間予定を延ばして出張者が来た。KLIAまでピックに行って、ブギビンタンのホテルにチェックイン。その後大同グループのレストランで食事。伊勢丹の地下にも案内し、まずは出張中やっていけそうなことを確認。

2003年3月23日 F1観戦

  • 出張者と行く予定にしていて出張延期で余った(と言っても自費でカバー)チケットで家族でF1観戦に行った。行く前にミッドバレージャスコに寄って食料・水の買い出し。おかげで昼は安くあがった(なにしろ会場ではミーゴレンがRM20以上する)が、予想以上に暑く1.5Lの水が底をつきだした。そうするとまみがだんだんグズり出して大勢が決まった残り10週のところで席を立ち帰路についた。でもそのおかげで(?)渋滞に巻き込まれずに1時間で帰宅することができた。

2003年3月22日 家族帰馬

  • 先月末から日本に帰国していた家族がマレーシアに戻ってきた。戦争が始まってからだったが特に問題なく戻って来れた。むしろ心配なのは新型肺炎かもしれない。
    歯医者やその他の健康問題等もクリアしてきて一安心。まあ歯医者は最終的な治療にまた8月頃帰らないといけないようだが、ときどき一時帰国するのは仕方がないか。
    まゆ・まみが皮膚がかさかさでアトピー状態になってしまった。急に寒くて乾燥したところへ行って皮膚が環境に順応できなかったのだろう。アトピーが再開したものではないと思いたいが・・。

2003年3月21日 上司との面接

  • 駐在している現地法人は以前は日本人がトップを務めていたのだが現在はローカルのMDになっている。そこで期末の面接もそのMDとすることになるのだが、今回は良い評価をもらうことができてホッとした。赴任して間もない頃は部下を持つ、指導するということ自体が難しかった。今は多少はやり方がわかってきたと言えるのだろう。良い経験をさせてもらっている。
    一方で日本の通達を見ると同期で昇進している人間が数人居る。会社に入った頃は全く意識しなかったことだが、最近ではそういう情報を見るとどうしてもアセる気持ちがある。来年は名前が出るよう今年精一杯努力して成果を出したいものだ。

2003年3月20日 遂に開戦!/戦争反対の署名

  • 宣言通り戦争が始まった。実は土曜日に出張者が来る予定になっていたのだが、「開戦後48時間は出張を見合わせるように」との通達が会社から出ておりキャンセル。工事を予定していたお客さんとも相談し、とりあえず1週間延期して様子を見ることになった。出張者と一緒に行く予定にしていたF1はチケットのキャンセルができず、家族と行くことにする。

  • 今回も回ってきたe-mailの戦争反対の署名
    9.11後のアフガニスタン攻撃のときにもe-mailで戦争反対署名が回ってきたが今回YANAママのところへ戦争反対署名e-mailが来た。発信元はフランスでスコットランド、スウェーデン、ニュージーランド、英国、米国、スウェーデン、スイス、香港、レバノン、米国、南アフリカ、スペイン、イタリア、英国、米国、カナダ、韓国、カナダ、ヴァージン諸島、米国、日本、米国、日本と来てここマレーシアにやってきたらしい。500人分集まったらホワイトハウスに送信するそうな。

2003年3月18日 米、イラクに最後通告、果たして開戦か?/出張者をKLCCへ

  • 米国が48時間後にイラクを攻撃すると宣言した。いよいよ開戦か・・。ブッシュが当選したときからこの日が来る予感はしていたが・・。未だに何故米国民がゴアを選ばなかったのか理解に苦しむ。それともブッシュになって戦争を起こした方が利益を得る人間が米国に多かったのだろうか?

  • 九州の工場と京都から出張者が来たので夜KLCCへ行ってツインタワーを見せた。大概の出張者がその高さ、美しさに見とれるが今回もそうだった。日本の人はマレーシアと言ってもジャングルの国くらいにしか思っていないだろうから世界一高いビルを見上げて驚くのだろう。こうやって一人一人のこの国に対する意識を地道に変えるのも駐在員の役目?

2003年3月11日 提案制度導入

  • 今駐在している現地法人に提案制度を導入した。まだ実施済み提案まで行くのは難しいかと思い、アイデア提案から始めた。小集団で必ず一人最低一つはアイデアを出すようミーティングしたのだが、けっこうアイデアは出てくる。後はこれをいかに実施するかと継続的にアイデアが出る風土・仕組みを作っていくかだ。

2003年3月7日 株価バブル後最安値!

  • 2月に何社かの株を買った。今が底値だろうという読みもあったが3月に入って最安値を更新。まだまだ地政学的な不安要素は大きいし、景気が力強く回復する気配もないのでしばらく厳しいかな。円もやや高い傾向にあり僕がドルに代えたときよりも高いので今現在は株も外貨預金もマイナスの状態だ。ユーロについては仕事で扱うことがなく感性がないので今のところ手を出していない。まあこれらを通して世の中の動きを敏感に見るアンテナが磨かれれば授業料としては高くないと思っているのだが。

2003年3月4日 シンガポール一人歩き

  • シンガポールに3日間、出張だったのだがマレーシアの休日に当たる今日前泊だったので半日をまだシンガポールで行っていない場所に行ってみることにした。特に家族連れだと博物館とかは子供が嫌がるのでなかなかゆっくり見れないのでそういう場所を中心に行くことにした。
    詳しいことは
    海外旅行from KL」の「シンガポール」ページに書いたのでご覧ください。

2003年3月2日 久しぶりの冬の日本

  • 出張があって5日間日本へ行ってきた。家族も歯医者等の用があり一緒に帰った。(難しい治療があり日本に帰って治療する決心をした。マレーシア在住の歯医者さん、村田先生にはとてもお世話になりました。)
    関空に降り立ったとき、高校生の頃スキーバスで高速をひた走り信州のドライブインで休憩に降りたらすごく寒かったことを思い出した。暖かい世界から突然冬になるとこんな感じなんだな。3年ぶりの冬は体にけっこうきつい。唇がかさかさして痛くなってくるし早くマレーシアに帰りたいと思ってしまった。

  • まみがトイレでおしっこをするようになった。まだ100%ではないがオムツにする前に「おしっこ」と言ってトイレに行くことが何回かある。2歳9ヶ月にしてようやくだ。まあまゆも同じようなものだったが。今のオムツは機能が良すぎて子供がいつまででもはいていたくなるのだろう。便利になるということは何かをスポイルしていることでもある。何事もGood & Badだということを常に頭に置いておこう。

  • 梅田のヨドバシカメラを見て歩いたが面白かった。今何が注目されているか、売れているか、日本の世の中の動きが良くわかる。雑誌等でも一応チェックしていはいるのだが店頭で感じるとまた違うものがある。白物家電が驚くほど変わってきているし、VCRもいよいよDVDレコーダになっていくという実感がある。一方で10数年前僕が学生時代ヤマダ電機の店頭に立っていた頃、家電量販店の花形だったミニコンポ類はあまりにも安くなってしまっていてこれではオーディオメーカがどんどんダメになっていくのが良くわかる。世の中の変化をキャッチアップしないと大変だ。家電類も帰任して日本で再び住みだすころにはがらりと変わっているのだろう。大部分を処分して赴任して正解であった。

2003年2月23日 KLグリークラブ・ファミリーコンサート

  • KLグリークラブでは団長を始めとして、日本人学校の先生方など計5人が3月を持ってKLを去ることになり、フェアウェルコンサートとして「第2回ファミリーコンサート」と題して演奏会を日本人会ホールで行った。カンボジア公演の良い所を保ちながらできて良い演奏の出来だったように思う。今回をもって僕はトップテノールを離れセカンドテノールに移籍することになった。また副団長という大役も仰せつかって大変である。

2003年2月21日 通訳は疲れる・・

  • 台湾系のお客さんでクレームがあり、日本から技術者が2名来た。本来ウチのマレーシアのエンジニアが呼んだものであり全面的に世話をしなくても良いと言えば良いのだが、そこは駐在員の務め(というか英語がカタコトしかできないので仕方なく?)、3日間のうち2日間は一緒にお客さんに行き通訳役を務めた。特に最終日、現場での調査内容を報告しお客様を納得させなければならない場面ではお客のキーマンは日本の技術者ではなくずっと訳している僕の顔を見ていてプレッシャーがかなりあった。自分が英語を使って自分の言葉で話するのは良いが、相手を納得させなければならないというプレッシャーのもと他人が言っていることを訳すというのはかなり大変だ。おかげで午前中の打ち合わせが終わって午後気が付くと声が枯れてきてだんだん出なくなってしまった。自分の体よりもしゃべらなければならないプレッシャーが大きくて水を余り飲まなかったために喉をやられたらしい。

2003年2月14日 クルマでのシンガポール出張

  • 昨年も行ったが車で昨日今日とシンガポールに出張してきた。今回シンガポールで新しく走った道もありまた少し道を覚えられた。ローカルのスタッフを2人連れて行ったが、シンガポールのオフィスに行くのは初めてだったらしく良い機会を作ってあげられたと思う。社内でのいろいろな交流はヒントがたくさんShareできて有効だがローカルのスタッフにはなかなか機会がない。これからも機会を作ってあげられるよう心がけたい。

2003年2月11日 今年もあったYee Sang

  • チャイニーズニューイヤーの恒例行事「Yee Sang」(漢字で「魚生」)があった。会社からはHalal(ムスリムもOK)のレストランに行った。先週の金曜日には代理店の社長に招待されてお昼に中華料理店でYee Sangをやった。ディーラーの社長たちも来ていたがギャンブルで何千リンギットも勝っただの負けただのという話をしていて(中国正月にはみんなギャンブルをする)、まるっきり中小企業のオヤジだ。こういう人たちの店/仕事を「China Man Business」というらしい。
    近頃は中華料理店だけでなく、イタリアンレストランや日本料理店でもYee Sangをやっている。便乗商法ということか。

2003年2月10日 TOEIC結果−かなり上がった!

  • TOEICの結果が返ってきた。赴任直前に比べて150点、今までのピークに比べても110点上がった。マレーシアン・イングリッシュとは言え毎日使って耳と目と口を鍛えたことが結果に現れている。やはり受けたときの感触は間違っていなかった。2年半会社ではほぼ80%英語漬けで自然にスキルアップできたということだろう。転職サイトなどを調べてみてもある程度は海外の仕事に従事できる条件を満たせているようだ。もちろんもっと厳しい条件を要求する会社もあるのでまだまだスキルアップの必要はあるが。まだまだ言いたいことが100%言えずにもどかしく思うことは多々あるし。

2003年2月6日 2年半ぶりにTOEICを受けた

  • 日本に居た頃は年2回会社でTOEICを受けていた。赴任直前に会社で英会話を短期集中で受講してTOEICを受けたが芳しくない点数でショックだった。こちらへ来てからは英会話レッスンを受けることはなく業務で日常生活で使うことで慣れてきては居たが、2年半ぶり受けてみた感じは長文を読むスピードが付いたこと、ボキャブラリーが増えていたことがあった。もちろん全部の単語がわかるまでではないが、以前はチンプンカンプンだったのがかなり意味がわかるようにはなった。ただスコアがどの程度伸びているかは返ってこないとわからないので何ともいえないが・・。

2003年2月4日 インターネット証券会社で株を買った

  • 株については大学生になった頃から興味があり買おうと思っていた。しかし買おうかどうしようかと思っているうちに株価はどんどん釣り上がりとても手の届かないものになって行った。丁度バブルの頃であった。
    バブルがはじけてからは今度は下がり続ける株は危なっかしくてとても手の出せない存在に見えた。ずーっと縁のない状態が続いた。投資というと外貨定期預金程度しかしていなかった。
    しかし気づいてみると日本はタダみたいな金利だし、米国も公定歩合を下げ定期預金に魅力がなくなってきた。そして株式はどんどん安くなりケガをしない程度で試してみることのできるものになっていた。そこで一時帰国時に開設してあった証券会社の口座を利用して株を買ってみた。今回まず試しに株の売却益よりは配当および株主優待を見込んで2-3銘柄買ってみた。これを通して株主の立場からモノを見る目を養えると良いとも自分で期待している。

2003年2月3日 KLグリークラブ・カンボジア演奏旅行

2003年1月27日 マレーシアの学校問題(特にチャイニーズ〜中華系学校)

  • 以前ウチの会社のマレーシアの代理店の人間の息子(16歳)が暴力を振るわれたかいじめられたかして死んだという話を聞いて、「マレーシアでもそういうことがあるんだ」と知った。 たまたま僕のセクションのスタッフと同行し車内で色々話をしていると今学校は問題だらけだと言う。例えば
  1. しかられた生徒がその先生の車に火をつけて放火した。
  2. 生徒が先生を殴った。
  3. 親が学校に乗り込み先生を殴った。

等の問題がチャイニーズの間で起きているらしい。 まさに僕が中学校時代の校内暴力全盛期を思い起こさせる。いや下手するとそれ以上か?僕のスタッフが言うにはチャイニーズの間では少子化しており子供は1人か2人が普通になってきている。そしてそうなることで親は子供を大事にしすぎる、子供が先生の言うことを聞かなくても平気になってきているそうだ。聞いていると今の日本と非常に良く似た状況だ。
日本の学校の問題〜学力低下や学級崩壊など〜は日本固有の問題かと思っていたが社会が進むにつれてどこでも起きている問題なのかもしれない。親の子供に対する教育がいかに大事か改めて思い知らされた。

2003年1月25日 KLグリークラブ・カンボジア公演直前追い込み合宿

  • 昨夜から、カンボジア公演を控えて最後の追い込み練習にKLグリークラブで合宿に行ってきた。今回も昨年9月に続いてBangiのEquatorial Hotelで実施した。かなり曲調にまで突っ込んでやれたとは思うが、本番でどこまでそれが出せるか。いよいよ今週土曜日だ。

2003年1月21日 貴乃花引退

  • 昨日貴乃花引退のニュースを聞いた。再出場した上でこの決断、正直もったいないという気持ちがする。まあ引き際は本人が決めること、それはそれで良いだろう。
    ただ大変なのはこれからの大相撲だ。まあ次から次から怪我続きで土俵が寂し過ぎる。興行というよりもスポーツ/勝負という面を強調しすぎて(八百長騒動の反作用だろう)、力士への負担がかかりすぎているのだろう。誰もが興行と知っているプロレスは年間100試合以上行うのが普通だが、真剣勝負が売りのボクシングや最近のK1その他は年間数試合である。本場所だけで年間90土俵もあり、他のトーナメント等を含めて100土俵を越える大相撲は真剣勝負をするには過酷過ぎるのかもしれない。あるいはハワイ勢以降大型化し過ぎたことが負担をかけすぎているのかもしれない。貴乃花が体を悪くしたのも対曙で無理に体を大きくしたこともある。
    横綱取りに挑戦中の朝青龍は決して大き過ぎない体で、その才能と技と精神力で上がってきた。大相撲が再生するためにはこういう力士が強く君臨して、パワー相撲から技とスピードで観客を魅了できるように体質変換をしていくことだろう。武蔵丸も先は長く無さそうだし、次の時代は朝青龍が切り開き、各国出身の強豪とそれに対抗できる日本人力士が出てきたときに再び盛り上がる時が来るだろう。

2003年1月20日 Pankor Laut Resortへ再び行ってきた

  • タイプーサンの休みで3連休となったためPankor Laut Resortへ行ってきた。一昨年の11月以来1年強振りだった。変わっていたところといえばLumutの港からの船が少し良い船になっていたこと、それと試さなかったがSPA VILLAというのができていたことだ。また今回は食事込みのパッケージをPankor Laut Resortを経営しているYTLのホームページから取ったため、食事代を気にせずにすんで気が楽だった。(島全部がリゾートのため、ホテルで食べるしかなく結構高いのです。)特に中華レストランは味が良くて2晩ともディナーは中華にしてしまったほどだ。
    ただ前回行ったときはさすがはマレーシアの誇る超高級リゾートという印象だったが、まだモルディブ・ヒルトンの余韻の残る我々にはところどころ粗が目に付いてしまった。どうも目が肥えすぎていかんね。まあそれほどまでにモルディブ・ヒルトンは夢のまた夢という感じで、細部に至るまでが完璧だったということだ。まあそれだけのお値段もしましたけど。

2003年1月12日 ホンダのロボット「ASIMO(アシモ)」を見た!

  • ホンダの人間型ロボット「ASIMO」がマレーシアにやってきた!
    昨日から明日までの期間でナショナル・サイエンスセンター(Pusat Sains Negara)で展示されていたので見に行った。いつもはガラガラの場所だが今日は近くに行ったらもう路上駐車で一杯。地元の人にも大人気らしい。ショーの45分前に会場に行ったらもう人がたくさん居たので待つことにした。始まるまで時間がありすぎるかと思ったが、MCのお姉さんが盛り上げながら人をどんどん詰めていって意外と飽きずに待っていられた。ショーもMCのお姉さんが上手に進めていってなかなかのものだった。動きが以前のP3(昔ロボット工業展で見た)に比べてスムーズにバランス良くなっている気がする。ただまだ動きはあらかじめプログラミングされてものだったようだ。先日ニュースに出演していたときはある程度人間と双方向でのコミュニケーションをしていたからちょっと前のバージョンなのだろう。
    帰りにTシャツとかのお土産を買って、我が家でもすっかり人気者になってしまった。

    ホンダのマレーシア現地法人としても、一昨年に販売代理店Oriental Motorsを切ってから販売台数がずっと落ち込んでいた(ちなみにOrientalはHyundaiに鞍替えしてHyundaiを一気に伸ばした)が、今回のASIMOでブランドイメージを作って攻勢に転じようというところだろうか。12月からマラッカの新工場での生産(CR-V)も始まったことだし。ASIMOを使ったマーケティングは効果大だという気がするな。

2003年1月10日 日本以上に日本的(?)なこっちの会社

  • KLグリークラブの練習があって僕は参加しなかったが、今日の終業後ウチの会社と代理店とでバトミントンを計画していた。ちょっとまえにもボウリングをやったりしていたし、社内だけでも「Sports & Recreation Club」というのがあって、しょっちゅう卓球だのスカッシュだのバトミントンだのテニスだのやっている。社員旅行もあるし、ちょっと前の日本の会社のようだ。
    仕事に対する姿勢や転職に対する考え方等一見ドライに見えるが、実際のところはとても家族的なつきあいをしたがるようだ。チャイニーズが中心だからだろうか。まあそれらの活動を会社がスポンサーになることが一種のインセンティブになっていりる部分はあるのだろうが。

2003年1月8日 学校が新学年になったための渋滞

  • 今週に入ってから朝とても道が込む。何故かと思っていたら今週からマレーシアの学校の新しい学年が始まったとのこと。通常マレーシアではスクールバスを使って通学するが、学校に入りたてだとスクールバスによう乗れずに両親のクルマで送ってもらうことが結構あってそれが原因で渋滞を巻き起こすらしい。

2003年1月7日 まゆのビザ移行に1週間以上

  • 会社の人事担当者がイミグレーションと色々電話をして調べてくれた結果、1月13日にイミグレーションに行ってビザがもらえるということになった。つまり新旧パスポート間のビザ移管だけでそんなにもかかってしまうとのこと。日本大使館でのパスポート更新がわずか2日間でできてしまうだけに、何とも遅く感じてしまう。
    でも日本でパスポート取ると確か2週間もかかるんだよね。今どきそれって遅すぎるなあ。

2003年1月6日 JALマイレージ・ポイントが無駄に

  • 先日失敗したシンガポール行きで取っていたホテルはJALのマイレージ・ポイントを使ってのものだった。仲介した業者に頼んで2週間後に変更してもらっていたのだが、JALから電話がかかってきて「一度予約されたホテルは変更できません」とのこと。確かにJALマイレージのルールにそう書いてありこれ以上何を言っても仕方がない。自分のミスから30000ポイントを無駄にしてしまった。まあどっちにしろ去年いっぱいで捨てていたポイントだが。

2003年1月5日 大好きなRitz-Cartonへ。でも・・

  • シンガポール行きに失敗し、代わりにRitz-Cartonに2泊した。今回で4度目の宿泊となるほどKLで気に入っているホテルでいつもクラブフロアに泊まるのだが、今年からの新ポリシーで12歳以下の子供はクラブラウンジ立ち入り禁止とのこと。クラブラウンジはお茶とお菓子を摘めたりしてとても重宝する場所で、ゆっくりとホテルで過ごすという僕たちの目的には大切な場所だったのでこれが無くなったということは非常に痛い。正直言ってRitz-Cartonの魅力半減。
    今度Shangri-Laのクラブフロアを試してみて良かったら、これからはShangri-LaをKLのFavorite Hotelに鞍替えするかな。

2003年1月2日 シンガポールに行く予定だった。しかし・・・

  • 2日、3日と本来出勤日だが、休みとって2日から5日までシンガポール旅行をすることにした。朝9時過ぎにクルマで出発し午後1時頃にはジョホール・バルのイミグレーションに着いて出国しようとしたところ、「娘さんのパスポートを更新したか」と聞かれた。確かにまゆのパスポートの有効期限が半年余りとなったため年末に更新していた。「ビザを新しいパスポートに移していないようだが」と聞かれた。時間もなくまだ移していなかった。そしてイミグレーションの事務所に行くよう指示され、そこのボスが昼食から帰ってくるのを30分ほど待たされた結果、「これでは出国はできない」「ビザを新しいパスポートに移すにはビザを発行したKLのイミグレーションの事務所にいかないとダメ」という結論が出た。つまり今回マレーシアから出国できないということだ。これには従わざるをえないので仕方なくKLへ戻ることにした。帰りながら会社の人事担当にいろいろ調べてもらったがビザを移すだけで数日かかってしまうらしい。場合によっては明日の朝ビザを移してシンガポールに行こうかとも思ったがこれで完全に潰れてしまった。
    元々「12月になって半年パスポートの有効期間がないとマレーシアに入国できない」と聞いて時間を作って大使館に行って更新できたのが年末になってしまっていて既にビザを移す時間がなくなっていたので今回のシンガポール行きは無理だったということだ。そこらへんを調べきれていなかったために正月早々1日でKL−JBと往復する羽目になってしまった。無理な計画を立てて自業自得というワケだ。仕方がない、身をもって勉強することになった。

2003年1月1日 まったりと過ごした元旦

  • 元旦はどこにも出かけずに読書などをしながらゆっくりと家で過ごした。おせちとまではいかないが、昆布巻きになますなどとお雑煮そして日本酒で正月気分になった。まゆにUNOを教えたところ結構理解したのでゲームなどを楽しんだ。今風にいうと、”まったり”と過ごした元旦となった。こういうのも良いもんだ。

 


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