カンボジア旅行

 

今回は通常の家族旅行ではなくKLグリークラブの公演旅行としてカンボジアに行き、ついでにアンコールワット等の観光もしたということでいつもの旅行記とは違っている。でもいくつか印象に残ったことがあったので記しておきたい。

2003年2月3日 KLグリークラブ・カンボジア演奏旅行

KLグリークラブ初の海外公演を2月1日カンボジアはプノンペンの日本大使館で行った。そしてその後アンコールワット等を見て戻ってきた。
コンサートそのものの内容はKLグリークラブのホームページに譲るが、カンボジアについての印象を少し記したい。まずはアンコールワットおよびアンコールトム等のアンコール遺跡群。アンコールワットの壮麗な美しさも素晴らしかったが、アンコールトムの南大門、そしてアンコールトム中心にあるバイヨンの四面仏がまた素晴らしかった。すべての塔の四方に顔が彫られているというのは独特のものであり、しかしその顔がなかなか良い面構えで魅かれるものがあった。ある時期のクメール王朝は相当な力を示していたに違いない。
しかしその一方で現在のカンボジアはポル・ポト時代に滅茶苦茶になった国土からの復興はまだまだ始まったばかりで、タイ・ベトナムの両大国(カンボジアから見ると大国なのである)に挟まれ厳しい立場にある気がした。 もちろんインフラ面は整備されていないのだが特に人の面でこれから発展するにはまだまだしんどいなあという感じがした。

一例を挙げるとアンコールワットのある地、Siam Reapで付いてくれた19歳のガイドさんが全くコミュニケーションが取れなくて困った。彼女は日本語のガイドなのだが、日本語を覚えて説明はしてくれるのだが受け答えはできない、つまり一方通行なのである。コミュニケーションは双方向でないとこちらの言っていることがわかっているのかわかっていないのかさえわからず不安になる。
こんなことなら英語のガイドの方がよっぽどマシで、事実予約するときに英語で良いという風に
リクエストしたらしいが、日本人には日本語ということであてがわれたらしい。
でも一応は英語がわかる私たちだと英語のほうがラクだったように思う。

帰りはSiem Reap空港からプノンペン空港で乗り換えでKLに帰ったのだが、プノンペン空港で
間違ってプノンペン−KL間のチケットがちぎられていて、チェックインできないという事態が発生した。
プノンペン空港に着いたときにSiem Reap Airwaysの女性が、Siem Reap空港のカウンターの人間がプノンペン−KL間のチケットをちぎったと言ってきた。それもそこのカウンターの人間はタイ人だったからだと言う。僕はそんなことはどうでも良いからマレーシア航空(プノンペン−KL間はマレーシア航空に乗る)の人間に事情を話してチケット発行できるようにしてくれと言ったら 「もう話はしたからカウンターに行ってもらえば大丈夫だ」とのこと。しかしどうも100%信頼しきれない。念のためその女性の名前と電話番号を控えて、国際線のマレーシア航空のカウンターへ。さあチェックインしようとしたところ、案の定「チケットがちぎられている。発行できない」とのこと。
Siem Reap空港で間違えてもぎられ、Siem Reap Airwaysの女性から連絡も来ている筈だと言ったが、「知らない、聞いてない」と来た。よくも名前を聞き出していたものだと思い、Siem Reap Airwaysの女性の名前を告げ、国際線カウンターの担当者が彼女に無線で連絡をして
確認が取れて結局チケットは発行されたが、こういう連絡というのは全く持ってできていない。
「自分は言った」からもう責任はない。といった調子だ。事実「自分のミスではない、責任ではない」ということばかり言う。「そんなことよりチケットを発行せい!」と言っているのだがなかなかわからない。僕の勝手な想像ではポルポト時代に「この失敗は私の責任です」というと銃殺でもされたのではないだらおうか?そうでないとここまでただただ責任逃ればかりしない。

ここから見るとマレーシアはまだまだ良い。人の面も含めて十分中進国だと言える。「トロイなー」とか「責任感ないなー」とかマレーシアに居るとよく感じるがずいぶんマシだということがわかった。そういう意味では良い経験になった。今後はチェックインした後に航空券が間違えてちぎられていないか良く確認しよう。

カンボジアは周りのベトナム、タイと比べても色々な面で圧倒的に遅れている。過去の栄光にしがみついているような印象があるがクメール人国家は段々と縮小傾向だ。正直この国が発展するのは相当しんどいのではないだろうか。人口も少なく国内市場のポテンシャルは小さいし、万が一アンコールワット等の遺跡群が崩れたりして、観光客を呼べなくなったら他に外貨獲得の有効手段はなく 国そのものの存続も危ぶまれるかもしれない。タイ大使館で暴れるばかりでなく自分たちの将来を真剣に考えて国づくりをしていかないといけないだろう。幸いフン・セン首相は相当デキる人物のようなのでその手腕に期待しよう。

最後におまけだが、僕は帰国直前、家族も帰国後下痢になった。疲れもあっただろうし歯磨きにもミネラルウォーターを使うなど気をつけていたとは言えやはり水がいけなかったかもしれない。とにかく最後の最後まで「アジア」を身をもって実感させてくれたカンボジアであった。

(2003年1月31日-2月3日・YANAパパ)

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